FC2ブログ
11 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

今日の辞世の句 

討つ人も討たるる人ももろともに如露亦如電応作如是観

大内義隆の辞世の句。大内義隆は戦国時代の武将。周防の守護大名・戦国大名。周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主。永正4年(1507年)11月15日、周防・長門の太守で、大内氏の第30代当主である大内義興の嫡子として大内氏館で生まれる。毛利氏や尼子氏とたびたび戦い、安芸を完全に勢力下に置いた。天文11年(1542年)、出雲に遠征して月山富田城を攻囲するも、配下の国人衆の寝返りにあって尼子晴久に大敗した(月山富田城の戦い)。しかも、この敗戦により養嗣子の大内晴持を失ったため、政治的関心を失い、もともと関心の強かった文人的傾向が強まり、文治派の相良武任らを重用した。このため、武断派の陶隆房や内藤興盛らと対立するようになる。陶隆房(周防国守護代)は天文20年(1551年)8月末、謀反の兵を挙げた。重臣の内藤興盛(長門国守護代)も黙認し、義隆を救援することはなかった。義隆は親族である津和野の吉見正頼を頼ろうとしたが、暴風雨のために逃れることができず、長門深川の大寧寺に逃亡し、そこに立て籠もった。このとき、義隆に従った重臣・冷泉隆豊の奮戦ぶりは目覚しかったが、多勢に無勢であり、義隆は隆豊の介錯で自害した。享年45。

殺す人も殺される人も同じだね。露のように雷のようにはかなく消えていくものだよ。観音様が様々に姿を変えて現れなさるように、この世の中は決して定まらずに変化するようなものなのだな。

 最後の「如露亦如電応作如是観」は金剛経の一句です。万物は流転するという無常を悟ったような、和歌となっています。訳のキモは「応作」をどう訳すかでしょうが、「応作}本来の意味は、仏・菩薩が世の人を救うために、相手の性質・力量に応じて姿を変えて現れること、ですがここでは、もっと広く世界の法則のようなものについて詠んでいるように思えます。むしろ自然(ピュシス)の法則(ノモス)とでも訳した方がしっくりくるのではないでしょうか?
スポンサーサイト

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   

今日の辞世の句 

こんにちは、みなさん。畠山基史です。これからこの場を借りて、人生最後の言葉について、毎日紹介と考察をしていきたいと思います。哲学は死の練習と言いますので、もしかしたら何かの役に立つかもしれないと思って御一読してください。

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。