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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

おのづから枯れ果てにけり草の葉の主あらばこそ又も結ばめ

諏訪頼重の辞世の句。諏訪頼重は戦国時代の武将。信濃国の戦国大名。諏訪氏の第19代当主。諏訪頼隆の子。宮増丸。刑部大輔。上原城城主。諏訪大 社大祝(おおほうり)。武田勝頼の外祖父にあたる。父の頼隆は天文8年(1539年)12月9日に死去し、頼重は祖父の頼満から後継に指名され、諏訪家の 家督を継ぐ。諏訪氏は頼満・頼隆の頃に甲斐の武田氏と抗争し、反武田氏の国人衆と結び甲斐国内へ侵攻していたが、天文4年(1535年)に信虎と頼満は和睦し、天文9年(1540年)11月、武田信虎の三女・禰々を娶り、武田家と婚姻関係を結んでいた。天文10年(1541年)5月13日には信虎・村上義 清らと連携して小県郡に侵攻し海野氏一族と戦い、5月23日には海野平合戦で海野棟綱を破り上野国へ追放している。同年6月に甲斐では武田信虎が駿河へ追 放され嫡男武田晴信(信玄)が国主となり、晴信は信濃侵攻を本格化させ諏訪郡への侵攻を開始する。晴信は6月、諏訪惣領を志向する伊那郡の高遠頼継ら反諏 訪勢と手を結び諏訪郡への侵攻を行い、上原城を攻められた頼重は7月に桑原城で降伏した後、弟の頼高と共に武田氏の本拠である甲府に連行され、東光寺に幽 閉された後に自刃する。頼高も自刃し、諏訪惣領家は滅亡した。

自然に枯れ果てた草の葉も 主人あればこそまた芽吹くのだ

諏訪氏は武田、上杉、北条、今川らの強国と隣接していたために、何かと苦労の絶えなかった家です。実際この当時の甲信越は戦争だらけでした。また南北朝時代に全くの同姓同名の人物がいますが、その人とは別人です。辞世の句の方は自分たちが死んだとしても、宗家が絶えなければ再興できるという願いを 込めたものとなっていますが、実際に諏訪家は近世に中興され大名となっています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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