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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

春を病み松の根つこも見あきたり

西東三鬼の辞世の句。西東三鬼は俳人。本名は斎藤敬直。岡山県苫田郡津山町大字南新座に生まれる。日本歯科医学専門学校卒業。1933年、歯科医 のかたわら、患者の勧めにより、俳句を始める。翌年、「走馬燈」の同人となるとともに、「天の川」に投句を始める。新興俳句勃興期で、句作に没頭。その後、いくつもの俳誌に参加しながら、多くの俳人と交友を深めていく。1940年3月、「師系と季語をもたず新興俳句の旗手といわれた西東三鬼が戦争を批判 しながら昭和初期の俳句界を彗星のように通り過ぎた記録」といわれる第1句集『旗』を上梓。この年、いわゆる京大俳句事件が起き、8月、三鬼も特別高等警察により検挙されるが、11月、句作活動中止を条件に起訴猶予となる。1942年、東京を出奔、神戸に移住。1947年、現代俳句協会を設立。1948 年、山口誓子を擁して「天狼」を創刊(この年、2月、兵庫県加古郡別府町に、12月、大阪府北河内郡寝屋川町に移住)。1952年、「断崖」を創刊、主 宰。1961年、俳人協会の設立に参加。この間、1956年に角川書店の俳句総合誌「俳句」編集長に就任(翌年、辞職)。最期は1961年、胃癌を発病。1962年、永眠。墓所は津山市の天法輪山成道寺。

京大俳句事件とは、新興俳句弾圧事件あるいは昭和俳句弾圧事件とも言い、1940年から1943年の間に行なわれた俳句誌・俳人に対する言論弾圧 事件のことです。俳人には戦争に反対の人達が多かったので、当局から弾圧の対象とされました。句の方は胃癌になって寝込むことが多くなったことを詠んだものでしょう。西東三鬼は非常に多趣味にしてお洒落で、女性にももてた人だったのですが、辞世の句は少し寂しさを感じさせるものになっています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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今日の辞世の句 

死なせてくれ。……私は怖くない。

ポール・クローデルの最期の言葉。ポール・クローデルは、フランスの劇作家、詩人、著作家、外交官。女性彫刻家のカミーユ・クローデルは、姉にあたる。1868年、北仏エーヌ県のヴィルヌーヴ=シュル=フェール村で、父ルイ・母ルイーズの4人の子の、末子に生まれた。収税官の父の転勤で幼時を転々 としたのち、1881年、パリのルイ大王高等中学校に学んだ。1884年、バカロレアに合格して哲学級へ進級し、級友のロマン・ロランとコンサートへ通 い、また、文学に親しんだ。1885年、パリ大学法学部へ進んだ。1886年、ランボーの『イリュミナシオン』と『地獄の季節』を読んだ。カトリシズムに 回心し、また、1887年からマラルメの「火曜会」に出席するようになった。詩作し、戯曲を書いた。1890年、外交官試験に首席で合格し、本省商務部の 専門職員となった。1935年に退官するまで在任中も、文筆を怠らなかった。1890年、パリのノートルダム寺院で聖体拝領に与った。彫刻家オーギュスト・ロダンの愛人であった姉に経済援助をしていたが、姉がロダンと別れて発狂して以降は上海勤務となり、姉に会う回数が激減したとされる。1898年、上海勤務の休暇に、約1ヶ月日本を観光した。1940年、ドイツ占領軍に監視され、著書『接触と環境』が出版後ただちに、廃棄処分にされた。1941年、ナチスのユダヤ人迫害に抗議した。1942年、アカデミー・フランセーズからの入会勧誘を、その対独汚染のゆえ に拒否した。ジャン=ルイ・バローと『繻子の靴』上演を議し、1943年、短縮した上演台本を書き、11月25日からコメディ・フランセーズで上演した。 以降、バローに頼られた。最期は1955年2月23日、パリの自宅で没、86歳。その4日前まで「マリアへのお告げ」のコメディ・フランセーズ上演に関 わった。2月28日、パリのノートルダム寺院で国葬が執り行われ、同年9月4日、ブラング城の一角に埋葬された。

この人は姉カミーユのジャポニスムの感化で日本を好いており、公務を縫って日本を積極的に見聞したそうです。クローデルが駐日大使をしていた頃は、日仏間に争う案件は少なかったそうで、フランスは東アジアの利権拡大に協力する英米から孤立してゆく日本に対して同情的で、日本の対中国のフランスの対インドシナの権益拡大を、認め合おうとする姿勢であったそうです。クローデルは日本の文化にたいしても非常に造詣が深く、『春庭花』『納曽利』などの舞楽、文楽、『仮名 手本忠臣蔵』『石切梶原』などの歌舞伎、『道成寺』『翁』『角田川』『砧』などの能を観劇しました。大徳寺・大覚寺・龍安寺・長谷寺・二条城・三千院・名古屋城などを巡り、狩野派の襖絵を鑑賞しもしています。画家の富田渓仙・山本春挙・竹内栖鳳、歌舞伎役者の五代目中村福助、長唄の四世杵屋佐吉らともしたしかったそうです。

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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