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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

昨日といい今日とくらして飛鳥川 流れてはやき月日なりけり

小堀政一の辞世の句。小堀政一は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家。備中松山藩2代藩主、のち近江小室藩初代藩主。一般には小堀 遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られる。幼名は作助、元服後は、はじめ正一、後に政一と改める。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。天正7年(1579年)、小堀正次の長男として生まれる。父・正次はもともと近江国坂田郡小堀村(現・滋賀県長浜市)の土豪で、浅井長政の家臣であり縁戚でもあった。慶長9年(1604年)の父の死後、政一はその遺領1万2460石を継いだ。慶長13年(1608年)には駿府城普請奉行となり、修築の功により従五位下遠江守に叙任された。以後この官名により、小堀遠州と呼ばれるようになる。元和5年9月(1619年10月)、近江小室藩に移封され、さらに元和8年8月(1622年9月)に近江国奉行に任ぜられる。元和9年12月(1624年1月)にさらに伏見奉行に任ぜられ豊後橋(現:観月橋)北詰に新たに奉行屋敷を設け、その後ほとんどここを役宅として暮らした。その後も伏見奉行を務めながら茶の湯三昧に過ごし正保4年2月6日(1647年3月12日)、伏見奉行屋敷で69歳の生涯を閉じた。政一の公儀作事に関する主な業績としては備中松山城の再建、駿府城修築、名古屋城天守、後陽成院御所造営等の宮中や幕府関係の作事奉行が挙げられる。政一は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。彼の選定した茶道具は和歌や歌枕の地名、伊勢物語や源氏物語といった古典から取った銘がつけられ、後世中興名物と呼ばれることとなった。政一の茶の湯は現在ではきれいさびと称され、遠州流(小堀遠州流)として続いている。小堀遠州がもたらした美意識は華道の世界にも反映され、それがひとつの流儀として確立、江戸時代の後期に特に栄えた。遠州の茶の流れを汲む春秋軒一葉は挿花の「天地人の三才」を確立し、茶の花から独自の花形へと展開していった。

小堀政一は武将としてよりは芸術家としての実績の方が目立つ人です。後半生は趣味に生きた人だけあって、月日も早く感じたのでしょう。自分の好きなことを思う存分できた、十分満足できる一生だったのではないでしょうか。戦国の世に武将として生まれながら、このような人生を送れたことは最高の幸せだと言えると思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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