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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

He was a sympathiser to the poor, the suffering, and the oppressed; and by his death, one of England's greatest writers is lost to the world.

故人は貧しき者、苦しめる者、そして虐げられた者への共感者であった。その死により、世界から、英国の最も偉大な作家の一人が失われた

チャールズ・ディケンズの墓碑銘。チャールズ・ディケンズはイギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。ポーツマスの郊外に生まれた。年少時より働きに出され、新聞記者を勤めるかたわらに、作品集『ボズのスケッチ集(Sketches by Boz)』で登場。主に下層階級を主人公とし、弱者の視点で社会を諷刺した作品群を発表した。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。作品は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など。海軍の会計吏ジョン・ディケンズとエリザベスの長男として、1812年2月7日にハンプシャーのポーツマス郊外のランドポートに生まれた。2歳のときにロンドンに、5歳のときにケント州(現在は独立行政区メドウェイ)の港町チャタムに移る。チャタムでは6年間を過ごし、ディケンズの心の故郷となった。少年期は病弱であり、フィールディング、デフォー、セルバンテスなどを濫読した。ディケンズの家は中流階級の家庭であったが、父親ジョンは金銭感覚に乏しい人物であり、母親エリザベスも同様の傾向が見られた。そのため家は貧しく、ディケンズが学校教育を受けたのは、2度の転校による4年のみであった。1822年の暮れに一家はロンドンに移っていたが、濫費によって1824年に生家が破産。ディケンズ自身が12歳で独居し、親戚の経営していたウォレン靴墨工場へ働きに出されることになった。さらに借金の不払いのため、父親がマーシャルシー債務者監獄に収監された。家族も獄で共に生活を認められていたが、ディケンズのみは一人靴墨工場で働かされた。この工場での仕打ちはひどく、彼の精神に深い傷を残した。数ヵ月後に父親の出獄が認められた。ディケンズはウェリントン・ハウス・アカデミーへ行くことが認められたが、このとき母親に強く反対された。このことも彼の心に強く残った。父親はのちに、『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物の一人であるミコーバー氏のモデルとなったとされている。20歳前後から諸雑誌から仕事の声が掛かるようになり、1834年に『モーニング・クロニクル』紙の報道記者となり、ジャーナリストとしての活動が本格化する。定職の片手間に「ボズ(Boz)」という筆名で書き始めた投稿エッセイが1833年、初めて『マンスリー・マガジン』誌に掲載され感激、その後も継続して書き続ける。こうしたエッセイは後にまとめられ、1836年、第一作『ボズのスケッチ集』として発表された。優れた批評眼が注目を浴びた。続いて発表した『ピクウィック・ペーパーズ』がサム・ウェラーの登場後に大人気となり、第一流の小説家として文才を認められた。さらに雑誌『ベントリーズ・ミセラニー』の編集長を務め、同誌に初めて筋書きのある長編小説『オリバー・ツイスト』を発表、小説家としてのディケンズの人気はその後、終生衰えることがなかった。『デイヴィッド・コパフィールド』は自伝的要素が強い作品で、このころの作品から次第に社会的要素を取り組んだ、凄惨な作風へと変化していく。ヴィクトリア朝の社会を批判した『荒涼館』や、社会制度を批判した『リトル・ドリット』、フランス革命を背景とした『二都物語』、失意の人々を描く『大いなる遺産』などである。最期は1870年6月9日、『エドウィン・ドルードの謎』を未完のまま、ケント州ギャッズ・ヒルの広壮な邸宅で、脳卒中により死去した。ディケンズ自身はロチェスターに一私人としての埋葬を希望していたが叶えられず、ウェストミンスター寺院の詩人の敷地に埋葬された。

この墓碑銘がチャールズ・ディケンズの人生を的確に表していることは、彼の作品を読めばすぐに分かると思います。ディケンズはストーリーよりも人物描写などの細部が優れていると言われることが多い作家ですが、作品を通して社会改革への積極的な発言も多く、しばしばヴィクトリア朝における慈善の精神、「クリスマスの精神」の代弁者とみなされています。世界的に影響も大きくプルースト、ドストエフスキーなどの小説家も愛読者として知られ、ギッシング、チェスタトン、ジョージ・オーウェルなども優れた評伝を寄せており、トルストイはディケンズをシェイクスピア以上の作家であると評価しているほどです。日本では夏目漱石がロンドン留学時代に、読みふけったことで有名です。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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