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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

お母さん、僕は本当は孝行者だったんですよ。

中原中也の最期の言葉。中原中也は日本の詩人、歌人、翻訳家。1907年4月29日、山口県に医師の子として生まれる。旧姓は柏村。夭折したが 350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出すなど、フラ ンス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。 東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部卒業。最期は1937年(昭和12年)10月に故郷に移住の予定であったが、結核性脳膜炎を発症し、 22日に死去。法名放光院賢空文心居士。墓所は山口市吉敷。

国語の教科書にも載っている人なので知っているという人もいるかと思います。中原中也は天才的な詩人でしたが、性格のほうはかなり荒っぽく、作家の 大岡昇平を殴ったとか、同席した太宰治に対し「お前は何の花が好きなんだい」と訊ね、太宰が泣き出しそうな声で「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と答えると、「チ エッ、だからおめえは」とこき下ろしたり、他にも太宰とともに同人仲間であった檀一雄をも『太宰の腰巾着』とこき下ろしています。中也の性格について、中 也の弟呉郎の解釈によれば、「農から出て立志した父の“荒い血”と封建の臣として淘汰された母方の“静かな血”の混血から成るもの」とい評していますが、 これは彼の性格だけでなく詩情についても的確な表現であると言えるでしょう。やはり詩人などになる人 は一筋縄ではいかないですね。しかし、その割には死ぬ前には、母に孝行者だったと認めてもらおうとしていたりと、なかなか掴めないところのもあるようです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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