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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

I am Providence

我はプロビデンス(神意)なり

ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの墓碑銘。ハワード・フィリップス・ラヴクラフトはアメリカ合衆国の小説家、詩人。「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」などと呼ばれるSF的なホラー小説で有名である。「H・P・ラブクラフト」と表記されることも多い。また文通仲間の間では「HPL」と呼ばれていた。ラヴクラフトの死後、彼の小説世界は、年少の友人の作家オーガスト・ダーレスによりダーレス独自の善悪二元論的解釈とともに体系化され、クトゥルフ神話として発表された。そのため、ラヴクラフトはクトゥルフ神話の創始者とも言われる。ただし、ラヴクラフトの宇宙的恐怖を主体とする小説世界を原神話やラヴクラフト神話と呼び、クトゥルフ神話と区別することもある。生前はパルプ作家としてそれなりの人気はあったものの、文学的に高い評価は受けておらず、出版された作品も極めて少なかった。しかし死後、ダーレスの創立した出版社「アーカム・ハウス」(Arkham House)から彼の作品群が出版されたことをきっかけに再評価される。エドガー・アラン・ポーと並んで現在も世界中の怪奇幻想小説界に多大な影響を与え続ける存在であり、スティーヴン・キングや菊地秀行など人気作家にも愛読者は多く、アメリカ怪奇・幻想文学の巨匠の一人として数えられる。ロードアイランド州プロビデンス生まれ。早熟で本好きな少年だったラヴクラフトはゴシック・ロマンスを好んでいた祖父のフィップル・フィリップスの影響を受け、物語や古い書物に幼い頃から触れていた。6歳頃から自分で物語を書くようになったが、「夜妖」に拉致されるという悪夢に悩まされていたという。8歳で科学に関心を持つと同時に宗教心を捨て、やがて悪夢も見なくなった。16歳の時には新聞に記事を投稿するようになり、主に天文学の記事を書いていた。しかし病弱で神経症を患っていたため学校に行けないことが多く、ついには希望していたブラウン大学への進学を断念し、18歳の時には小説の執筆をやめてしまった。この頃のラヴクラフトの生活は隠者のような暮らしぶりだったという。体調がよくなってきたのは30歳頃である。1914年4月にアマチュア文芸家の交流組織に参加し、文芸家との交流を再開した。その3年後、再び小説の執筆を開始し、同人誌に作品を載せるようになった。また1915年には文章添削の仕事を始めていたが、ラヴクラフトが大幅に手を加えた結果、元の原稿とはかなり違う作品になったこともままあった。これは彼の主要な収入源となっていたが、この頃は無料奉仕が多かった。ヘイゼル・ヒールドやゼリア・ビショップ(Zealia Bishop)など、ラヴクラフトの添削によってクトゥルフ神話作品を執筆することになった作家が少なからずいる。前述のダーレスの他、ロバート・ブロック、クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・E・ハワードらとは膨大な量の書簡を交換している。長年高い評価を得られず、生活は貧しいものだった。旅行が好きで経済的に余裕があって健康だった時にはケベックやニューオーリンズまで長距離バスを利用して旅行したこともあったが、その目的も古い時代の細かい事情を調査するためだったという。貧困のお陰で長い間希望していた古い家に住むという願いがかなったのも事実である。1922年になってようやく自身の作品が売れるようになったが、文才に自信が無かったため文章添削の仕事を続け腕を磨き続けた。45歳を過ぎてギリシア語をマスターしたが、1936年にロバート・ハワードが自殺したことに衝撃を受け、また同年腸癌との診断を受け、その後の栄養失調も重なり、翌年1937年に病死した。生前に出版された単行本は1936年にウィリアム・L・クロフォードが出版した、短編『インスマウスの影』の一作だけであった。 彼の没後1939年、手紙友達で同業作家であるオーガスト・ダーレス、ドナルド・ウォンドレイが発起人となり、彼の作品を出版するという目的でアーカム・ハウス出版社が設立された。

ラヴクラフトの作品を読んだことのない人でも、『クトゥルフ神話』やその中に出てくる架空の魔道書「ネクロノミコン」は聞いたことがある人も多いでしょう。『クトゥルフ神話』はラヴクラフトの描いた小説世界をもとに、彼の友人である作家オーガスト・ダーレス等の間で、作り上げられた架空の神話体系です。タコやイカに似た頭部を持つ軟体動物を巨人にしたようなクトゥルフが有名ですが、ラヴクラフトが海産物がものすごく嫌いだったたからだそうです。作品はホラーや幻想的作品を主としていますが、本人は迷信や神話の類は一切信用しない無神論者でした。エドガー・アラン・ポー、ダンセイニ卿、ウォルター・デ・ラ・メア、バルザック、フローベール、モーパッサン、ゾラ、プルーストといった作家が好きで、小説におけるリアリズムを好んでいたそうです。ラヴクラフトの生きた時代は西洋白人文明の優越性が自明のものとされており、彼の発言や作品の中にも現代視点で見れば人種差別的な考えがしばしば見られますが、なぜか彼は自身の土壌であるアングロサクソン文明よりも中華文明がより優れていると考えており、書簡の中で日本の俳句を評価したりもしています。晩年は社会主義的傾向を強め、ソビエト連邦を礼賛したりもしました。彼の作り出した宇宙的恐怖を主体とした世界観は多くの人を惹きつけ、『クトゥルフ神話』をモチーフとした小説、ゲーム、映画等は、現在でも作られ続けています。墓碑銘は神意(Providence)と、彼が終生愛したプロビデンスの街とをかけたものです。ラヴクラフトの墓を訪れたファンは『クトゥルフの呼び声』から引用された以下の四行連句を墓碑に書き込んで行くそうでうす。
That is not dead which can eternal lie,And with strange aeons even death may die.
永遠に横たわること能うものは死するに非ず、そして奇怪なる永劫のうちには死すらも死なん
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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