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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

HERE WAS BURIED THOMAS JEFFERSON
AUTHOR OF THE DECLARATION OF AMERICAN INDEPENDENCE
OF THE STATUTE OF VIRGINIA FOR RELIGIOUS FREEDOM
AND FATHER OF THE UNIVERSITY OF VIRGINIA

ここにトーマス・ジェファーソンは眠る
アメリカ独立宣言の作者
信教の自由を求めたバージニアの法の作者
そしてバージニア大学の父

トーマス・ジェファーソンの墓碑銘。トーマス・ジェファーソンは第3代アメリカ合衆国大統領(1801年-1809年)。アメリカ独立宣言(1776年)の主要な作者であり、アメリカ合衆国の共和制の理想を追求したことで最も影響力のあったアメリカ合衆国建国の父の一人とされている。共和制を推進し、イギリスの帝国主義に対抗する偉大な「自由の帝国」の陰にある力としてアメリカの姿を描いた。首都ワシントンD.C.で就任演説を行った最初の大統領である。大統領就任中にはルイジアナ買収(1803年)やルイス・クラーク探検隊(1804年-1806年)を進めたが、辞任後に米英戦争(1812年-1815年)に繋がるイギリスおよびフランス両国との緊張関係を増すことになった。政治哲学者として啓蒙時代の人物であり、イギリスやフランスの多くの知識人と知り合いだった。共和制の美徳の体現者としてヨーマン(独立自営農民)を理想化し、都市や金融家を信用せず、州の権限や厳しく制限された連邦政府に賛成した。ジェファーソンは政教分離原則を支持し、バージニア信教の自由法(1779年、1786年)を起草した。ジェファーソン流民主主義の名祖であり、25年間アメリカ政界を牛耳った民主共和党の創設者かつ指導者だった。戦時のバージニアで知事(1779年-1781年)を務め、初代国務長官(1789年-1793年)および第2代アメリカ合衆国副大統領(1797年-1801年)も歴任した。ジェファーソンは1743年4月2日に、ピーター・ジェファーソンおよびジェーン・ランドルフの息子としてバージニア植民地に生まれた。1760年、16歳の時にウィリアムズバーグにある、名門ウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、大学教育を2年間受け、1762年に優等賞を受けて卒業した。ウィリアム・アンド・メアリー大学では哲学科に入り、ウィリアム・スモール教授の下で数学、形而上学および哲学を学んだ。スモールは勉強熱心なジェファーソンにジョン・ロック、フランシス・ベーコンおよびアイザック・ニュートンなどイギリス経験主義者の著作を紹介した。ジェファーソンは彼らのことを「世界が生んだ中でも最も偉大な3人」と呼んだ。ジェファーソンは法律実務を行う傍ら、1769年からアルベマール郡選出のバージニア植民地議会議員となった。1774年にイギリスの議会で耐え難き諸法が成立した後、それに反対する決議文を書き、それが拡大されて初めての出版物となる『イギリス領アメリカの権利に関する要約』に結実した。この小冊子はアメリカ独立の理論的枠組みを作ることに貢献し、ジェファーソンは最も思慮深い愛国的代弁者として注目された。アメリカ独立戦争が始まった直後の1775年6月、ジェファーソンは第二次大陸会議のヴァージニア代議員の一人になった。大陸会議が1776年6月にリチャード・ヘンリー・リーの独立決議案を審議し始めたとき、ジェファーソンは決議案に伴う宣言を準備するための5人委員会委員に指名された。この委員会はジェファーソンが文章の書き手として評判があったために初稿を書くよう選んだ。ジェファーソンは他の委員に相談し、自分が提案したバージニア憲法の草案やジョージ・メイソンが起草したバージニア権利章典など他の資料から引用した文章で初稿を書き上げた。数日間の議論によって大陸会議は言葉遣いを修正し、全文の4分の1近くを削除した。削除された部分は大西洋奴隷貿易を批判したものであり、この修正にジェファーソンは不満だった。7月4日、アメリカ独立宣言が承認された。この宣言は結果としてジェファーソンの名声を上げるものとなり、その雄弁な前文はその後の人権宣言の規範になった。独立宣言の採択後はバージニアに帰り、9月には新しいバージニア邦議会の議員に選出された。1778年、ジェファーソンが書いた『知識のより広範な普及のための法案』は、アメリカの大学では初めての研究の選択制など、彼の卒業校で幾つかの学際的改革に繋がった。1779年から1781年までバージニア邦知事を務めた。国内で初めて学生が管理する倫理規定など、ウィリアム・アンド・メアリー大学の教育改革を提唱し続けた。推進しようと思った学制改革の進み方が遅いことに不満となり、後にはバージニア大学の設立者になった。ジェファーソンは1785年から1789年まで駐フランス公使を務め、フランスからの帰国後は、初代大統領ジョージ・ワシントンのもとで初代国務長官をつとめたジェファーソンはニューヨーク州出身のアーロン・バーと密接に協力しながら自党を糾合し、特に新税を攻撃し、1800年のアメリカ合衆国大統領選挙に打って出た。1801年2月17日、下院での31回目の投票が行われてジェファーソンが大統領に、バーが副大統領に選ばれた。ジェファーソンの評判はその2期目の終わりに撤廃された1807年の通商禁止法が効果が無かったことで傷つけられた。1803年、ジェファーソンは黒人をアメリカ合衆国の郵便を運ぶ業務から排除する法案に署名した。歴史家のジョン・ホープ・フランクリンは、この署名を「それをすることで利益を得られない自由黒人に関する根拠の無い嫌悪の表明」と呼んだ。ジェファーソンは大統領職を辞した後、公的な事業での活動を続けた。ジェファーソンは人を教育することは組織化された社会を造るための良い方法だと考え、学校は一般大衆によってその費用を賄われることで、それほど裕福でない者でも学ぶことができるようにすべきと感じていたが、その夢は1819年にバージニア大学を創立することで実現した。大学は当時の北アメリカで最大級の建設プロジェクトとなり、教会ではなく図書館を中心に据えたことで特徴があった。当初の計画ではキャンパスに礼拝堂が無かった。ジェファーソンは死ぬまで学生や教員を自宅に招いた。ジェファーソンは1826年7月4日、アメリカ独立宣言の採択から50周年の記念日にバージニア州で83歳で死去した。

トーマス・ジェファーソンは業績が多く複雑なので、簡単に書き記すことが難しい人です。彼は政治や外交の分野だけで活躍した人ではなく、博学者でもありジェファーソンの数ある得意分野の中でも園芸学者、建築家、考古学者、古生物学者、発明家として特に傑出していました。かつてジョン・F・ケネディは1962年にホワイトハウスへ49人のノーベル賞受賞者を招いた席で「私はこの今日お集まりいただいたみなさまが、ホワイトハウスにかつて集められた最も秀逸な才能と知識の集大成だと思います. . . トーマス・ジェファーソンがここで一人で食事をした時を除いては」と挨拶しました。 今日まで2期を完全に務めたアメリカ合衆国大統領の中で、議会の一つの法案にも拒否権を発動しなかったのは彼だけだとされています。学者達によるアメリカ合衆国大統領の評価でも、常に偉大な者の一人とされてきました。ジェファーソンがアメリカの美徳として描いたものは、自分のことは自分で処する自作農の農本的国家のもので、彼の共和制原理は18世紀イギリス政府に対抗した著作家達の農業政策を支持する党によって強く影響を受けており、特にジョン・ロックの不可分の権利原則について影響を受けています。ジェファーソンは個人個人が「ある不可分の権利」を持っていると信じ、最も明確に説いたのは「自由」の権利でした。彼は政府は自由の権利を「創り出せ」ないが、実際にそれを侵犯できると考えていたので、適切な政府とは社会を構成する個人が、他人の自由を侵すことを禁じるだけでなく、個人の自由を縮小しないよう「政府自体」を拘束するものでした。この考えは現在の新自由主義者またはリバタリアンにまで受け継がれる、アダム・スミス以来の伝統的な自由主義に基づいた小さな政府の思想であり、それゆえにジェファーソンは時として理性的な無政府主義者と見られることもあります。トーマス・ジェファーソンの宗教観は当時の正統的キリスト教から離れ、広く多様化しており、その生涯を通じて神学、聖書研究および道徳に深く興味を抱き、聖公会、理神論の宗教哲学およびユニテリアン主義に深く惹かれていました。またジェファーソンはインディアンを「高貴な野蛮人」と呼び、白人とは異なった彼らの文化に対して畏敬の念を持っていましたが、一方でジェファーソンは、大統領としてインディアンの強制移住政策を公式に立案した最初の人物でした。他にもジェファーソンは声に出して言う奴隷制廃止論者でしたが、彼はその生涯で多くの黒人奴隷を所有していました。そのことにジェファーソンは良心の呵責や試練を味わっていたようで、彼は公職に就いていた長い期間に、何度も奴隷制を廃止するか、奴隷制の進展を制限しようとしました。これらのことからも、ジェファーソンは現在の眼から見ると十分でないにしても、当時としてはかなり進歩的な考えの持ち主だったと言えるでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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