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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日のp辞世の句 

富士が見たい。

吉田茂の最期の言葉。吉田茂は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員 (勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、 第一復員大臣(第2代)、 第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製 チャーチル」とも呼ばれた。回顧録をはじめとした著述活動などもあり、死の前年である1966年(昭和41年)には、ブリタニカ百科事典1967年版の巻 頭掲載用として、"Japan's Decisive Century"(邦題:「日本を決定した百年」)と題した論文の執筆を行った。1967年(昭和42年)6月には「日本を決定した百年」を国内で出版し たが、それから間もない8月末に心筋梗塞を発症した。このときは、あわてて駆けつけた甥の武見太郎(医師会会長)の顔を見て「ご臨終に間に合いましたね」 と冗談を言う余裕を見せたといわれる。しかし、さらに2ヵ月後の10月20日正午頃、大磯の自邸にて死去した。享年89。

この人の政治家としての経歴は複雑すぎてここに書ききることはできませんが、戦前戦後を通してもっとも日本の歴史に深い影響を与えた人物の一人であることは間違いありません。吉田に影響を受けた主な人物として、佐藤栄作・池田勇人・田中角栄がおり、彼らは戦後保守政権の中核を担うこととなりました。それにしても日本の運命を決定するような立場に立つ、波乱の人生を送った人だった割には最後の言葉は平凡なものですね。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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