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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

おみやげを買わなくていいか 埴輪や名器のような副葬品を

高見順の最期の言葉。高見順は日本の小説家、詩人。1907年(明治40年)福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母・高間古代(コヨ)は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。母と共に上京。実父と一度も会うことなく、東京麻布飯倉にあった父の邸宅付近の陋屋に育つ。私生児としてしばしばいじめを受けた。阪本家からは毎月10円の手当てを受けていたがそれでは足りず、母が針仕事で生計を立てた。東京府立第一中学校卒業、第一高等学校文科甲類入学。一高社会思想研究会に入会。1927年(昭和2年)一高卒業、東京帝国大学文学部英文学科入学。同人雑誌「文芸交錯」創刊に参加。1928年(昭和3年)左翼芸術同盟に参加、機関紙「左翼芸術」に小説『秋から秋まで』を発表。東大内の左翼系同人雑誌7誌が合同して「大学左派」創刊に参加。1929年(昭和4年)「大学左派」の後身「十月」創刊や「時代文化」の創刊に参加し、プロレタリア文学への道を進んだ。日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)に参加したと推定される。1933年(昭和8年)治安維持法違反の疑いで大森署に検挙されるが、「転向」を表明し半年後に釈放された。1935年(昭和10年)饒舌体と呼ばれる手法で『故旧忘れ得べき』を「日暦」に発表、第1回芥川賞候補となり、作家としての地位を確立した。1939年(昭和14年)『如何なる星の下に』を「文芸」に発表、高い評価を受ける。1950年(昭和25年)『胸より胸に』を「婦人公論」に発表。戦後は、「わが胸の底のここには」、「あるリベラリスト」などの作品で私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表する。また、晩年は、昭和という時代を描く「激流」「いやな感じ」「大いなる手の影」の連作を発表する。長編などでは他に「都に夜のある如く」、「生命の樹」、「今ひとたびの」などがある。また晩年に、近代文学の資料の散逸を防ぐため、日本近代文学館の建設に尽力したが、落成間近に食道癌で亡くなった。文化功労者が追贈された。勁草書房で「全集」、「全日記」が刊行された。

高見順は一高の社会思想研究会に入っており、最初はプロレタリア作家でしたが、特高に拷問されて転向しました。また 高見順は永井荷風の父方の叔父であり、したがって荷風と高見順は従兄弟同士でしたが、互いに極めて険悪な関係でした。高見順は出生に問題がありましたが、そのことは彼の作風に影を落としています。56歳の時に食道癌が発見され、苦しい闘病生活の中で書いた詩を詩集「死の淵より」として発表しました。この詩集の中の「おれの食道に」の最後は、彼が人生に満足したことを示す次の一節で締めくくられています。「おれはおれなりに死んで行くことに満足する おれはおれに言おう おまえはおまえとしてしっかり よく生きてきた 安らかにおまえは眼をつぶるがよい」
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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