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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

中原賊を逐気鷹揚 
猟狗煮らるる時この殃に罹る 
愁思只こゆ三閲
月齡将につきんとす玉旬霜 
体はやするを知る食に甜味なし 
髪はひねるに足る詩は章を調べ難し 
嘆ず邦家何の日か定まらん 
忠精一貫す鉄心腸

平原の賊軍を撃とうと意気を揚げる
役目の終わった猟犬が煮て食われる時に災いは起こるのだ
憂いを思いただ三ど見るを頼む
新月になろうとする玉旬の霜
体はやせ衰え食事は味気ない
髭は捻れるほど伸び放題で読むに足る詩は文章を調べることも難しい
祖国の明暗がいつ定まるだろうかと嘆く
忠心を精一杯貫く鉄のような心

福原元僴(ふくはら もとたけ)は、江戸時代末期(幕末期)の武士。長州藩の永代家老。福原越後の名で知られている。長州藩支藩である徳山藩主・毛利広鎮の六男。文化12年(1815年)生まれ。六男であるために家督を継ぐことはできず、長州藩士・佐世親長(益田就恭の実弟)の養子となる。嘉永4年(1851年)、家老に昇進するが、家老にしては家柄が低すぎることから(佐世家は佐々木源氏系の家柄であるが、藩内での地位は低かった。翻って福原氏の祖は毛利氏と同じ大江朝臣長井氏であり、福原氏は宿老の家柄である)、安政5年(1858年)に藩命で長州藩で代々家老職を継ぐ家柄の福原親俊(伯父・福原房純の孫)の家督を継承した。その後は国家老として藩主・毛利敬親を補佐し、尊王攘夷運動を推進する。しかし文久3年(1863年)、八月十八日の政変で長州藩が京都から追放されると、来島又兵衛や久坂玄瑞らと協力して挙兵し、上京して禁門の変を引き起こした。元僴は蛤御門で大垣藩の藩兵と戦ったが、敗れて負傷し、帰国した。その後、幕府による第1次長州征伐が起こると、藩内では保守派である俗論党が主導権を掌握してしまう。元僴は禁門の変で敗れて逃げ戻ったという経緯があったため、保守派の意向に逆らうことができず、西郷隆盛の要求により国司親相・益田兼施と共に禁門の変、並びに長州征伐の責任を取る形で、元治元年(1864年)、岩国の龍護寺で自害した。享年50。寡黙で果断、温厚でもあり、幕末初期の長州藩政を見事に運営した名臣として、高く評価されている。養嗣子は福原姓を憚り、鈴尾(安芸福原氏発祥の城名)五郎(のち親徳)と名乗り、後に復姓して、福原良通と名乗った。

福原元僴は幕末の長州藩の永代家老です。彼は能力・人格ともに非常に優れた人でしたが、乱世では優れた人ほどよく死にます。家柄が低すぎ不遇でしたが、それを託つことなく、永代家老にまで上りつめました。しかし禁門の変で敗れたために朝敵の汚名を着せられ、その責任を取って自害しました。この自害を要求したのは西郷隆盛でしたが、犬猿の仲であった長州の有能な人物を生かしておくことはできなかったのでしょう。我賢の短なるを嘆ず、乱世において愚なるは長なり、と。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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