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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

世の中は時雨となりてきのふ今日 ふみとどむべき言の葉もなし

世の中は雨が降ったり止んだりとなって昨日も今日も 書き残しておく言葉もない

内藤信順の辞世の句。内藤信順は幕末会津の人。信順、通称介右衛門。隠居して可隠と号した。内藤家6代目信思の長男として生まれ、信思が若くして亡くなった為、七代目を継いだ叔父の信全の養子となった。のち家老となるが、38歳で辞職している。戊辰戦争の際は、菩提寺である面川の泰雲寺で一族13名で自刃している。長男は家を継いで家老となった介右衛門信節、次男は梶原家を継いだ梶原平馬、三男は彰義隊に入隊し獄死した武川信臣である。

内藤家は家禄は2,200石の名家であり、内藤信順は家老を務めました。幕末には彼は既に隠居し、内藤信節が家督を継ぎ家老職についていましたが、時代が彼に平穏な余生を許しませんでした。慶応4年8月23日(1868年10月8日)に、会津若松城下に新政府軍が迫ると、信順らは入城することができず、親類である若年寄・上田八郎右衛門の一家と菩提所である泰雲寺に避難しました。9月17日(11月1日)、敵迫るとの知らせを受け、内藤一族は上田家とともに自刃するという悲劇が起こりました。内藤家は信順(67)、妻(58)、娘4人(23,19,17,不詳)、信節の妻(23)、孫2人(6,3)。上田家は八郎右衛門の父である伊閑(61)、妻(58)、妹(56)、娘(30)、孫(9)。内藤家家臣4人も自刃し、場を離れていた従僕は後を寺に頼み、主人一家の跡をおったそうです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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