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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

いかにせん君は名ごりを惜しむかな 今露じもと消ゆる身なれば

どうしようか君は名残を惜しむだろうかな 今や露や霜のように消えてしまう身となったならば

片山九市の辞世の句。片山九市(1828-1864)幕末の尊攘運動家。文政11年2月10日丹波氷上郡(兵庫県)黒井村の庄屋の家に生まれる。学問や武芸をこのみ、とくに馬術にすぐれた。文久3年(1863)沢宣嘉が生野に挙兵すると、木村愛之助と名をかえて参加。但馬(兵庫県)出石藩に捕らえられ、元治元年7月19日京都六角牢で処刑された。37歳。名は春量。

片山九市は澤宣嘉らが起こした生野の変に関わった人ですが、実はそれほど重要な人物ではありませんでした。生野の変は天誅組の変の直後とあって、幕府側の動きは早く、挙兵の翌日には出石藩兵900人と姫路藩兵1000人が生野へ出動し、挙兵はあっけなく失敗しました。さて、片山九市が捕らえられた六角獄舎とは、平安時代に建設された左獄・右獄を前身とする京都の牢獄です。正式名は三条新地牢屋敷なのですが、移転を繰り返した後、宝永5年(1708年)の京都大火以降に中京区六角通りに移転されてからは六角獄舎と呼ばれるようになりました。安政の大獄による政治犯や過激な尊皇攘夷派志士らが、多く捕らえられて処刑されました。元治元年7月19日(1864年8月20日)に始まった禁門の変に伴い生じた火災(どんどん焼け)により、京都市中に火が広がり六角獄舎にも及ぶ恐れが生じると、管理を任されていた京都町奉行官吏は過激な志士達の脱走を恐れて、いまだ判決が定まっていなかった生野の変首謀者・平野国臣など囚人33人を斬罪に処してしまいました。ちなみに六角獄舎跡には、斬首に使われた刀を洗う「首洗井」が埋め立てられてはいるが跡地に現存しており、密かな心霊スポットになっています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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