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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

議論より実を行えなまけ武士 国の大事をよそにみる馬鹿

河上弥市の辞世の句。河上弥市(天保14.1(1843)~文久3.10.14(1863.11.24)) 幕末の長州(萩)藩の志士。名は正義。弥市は通称で弥一とも称す。長州藩八組士河上忠右衛門の子として金谷(萩市椿)に生まれる。禄高103石。文久3(1863)年6月、高杉晋作の奇兵隊結成に参加。9月、高杉のあとを受けて滝弥太郎と共に奇兵隊総督を務めた。10月、七卿落ち公卿のひとり沢宣嘉を擁して但馬国生野(兵庫県生野町)に挙兵、10月12日、生野代官所を占拠した。天誅組が壊滅し近隣諸藩が鎮圧に動くなか、強硬論を主張して迎撃のため山口村に陣を張ったが、生野の本隊は解陣、離反した農兵に囲まれたため自刃した。年は21。その鉢巻きには「後れては梅も桜におとるらん魁てこそ色も香もあれ」と書きつけてあった。

河上弥市は高杉晋作の幼少のことからの親友であり、高杉の後を受けて奇兵隊第2代総監となりましたが、その職を投げ打って隊士13人を引き連れて、但馬へ向い南八郎と名乗って生野の変をおこしました。生野の変は当初から意見がまとまらず、状況の変化を受けて、中止しようという意見もありましたが、河上ららの挙兵強硬派の主張がまさり挙兵に至りました。しかし、反乱に対する諸藩の素早い動きに対して、挙兵後も解散説が持ち上がるなどまとまりに欠け、13日夜に肝心の主将の澤宣嘉が解散派とともに本陣から脱出してしまうという事態となりました。山口村妙見山(岩州山)の妙見堂に布陣していた河上は生野の町で闘死しようとしましたが、反乱に駆けつけた農民たちは、騙されたと怒り「偽浪士」と罵って彼らに襲いかかりました。そのため河上ら13人の浪士は妙見山麓(現朝来市山口・山口護国神社)に戻って自刃しました。上記の辞世の句は、切腹した時に壁か岩に殴り書きしたとも高札を削って書いたとも言われています。この歌は長州の同志である来島又兵衛が詠んだという説もありますが、作ったのが誰であるにせよ21歳の若さで憤死した、河上の心情を見事に表したものだと言えます。上手い下手の彼岸を超えて、思いのたけを叩きつけた罵詈雑言のようなこの歌には、もはや解説は不要でしょう。
愚かなる迷いの果てに死するとも 先立つものは辞世なりけり
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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