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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

みちのくの山路に骨は朽ちるとも 猶も護らむ九重の里

東北の山道に死んだとしても なお宮中の里を守ろう

田中愿蔵の辞世の句。田中愿蔵(たなかげんぞう 1844~1864)は、久慈郡東連地村(現水府村)で生まれた。藩制時代後期に建てられた郷校の一つ、野口時雍館の館長を務め、一八六四年三月、水戸学の指導者藤田東湖の子、藤田小四郎らとともに筑波山で挙兵し、天狗党幹部になった。田中愿蔵は、山田一郎とともに天狗党の資金調達を担当していおり、田中により組織された別働隊は、このとき資金供出を断った栃木(6月5日~6日)・真鍋(6月21日)などの町で放火・略奪・殺戮を働いた。とりわけ惨劇が展開されたのが栃木であった。6月5日、栃木宿に到着した田中隊は、家々に押し入って金品を強奪したうえ、町に対し軍資金30,000両の差し出しを要求した。町側がこれに応じられないと知るや、田中は宿場に火を放たせ、この火災により翌日までに宿場内に限っても237戸が焼失した。水戸天狗党田中愿蔵は、水戸近郊の戦いに敗れ、八溝山に拠るも再起図れず、解散し、町内の真名畑にて捕縛され、この川原に於いて斬首される。元治元年(1864年)10月16日遺体は安楽寺に埋葬される。翌年慶応元年、ゆかりの者により供養の碑が建てられた。昭和4年金澤春友氏により「田中愿蔵刑場の跡」の碑が建立される。享年21。

田中愿蔵は天狗党の中でも特に悪名高い人です。彼は略奪・放火などの悪事を行い、明治以後も悪党として知られていました。このような天狗党の行いは天下の同情を失わすには十分で、天狗党はあっけなく壊滅することとなりました。ところが大仏次郎の『愿蔵火事』や中山義秀の『関東狂少年』といった小説では、田中は好意的に書かれています。彼のやった無茶なことは、物語とするには面白かったのでしょう。大暴れした上に、慰霊碑なども建ててもらっていることなどを考えれば、人間何でもやってみるものなのかもしれません。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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