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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

痩がほに 団扇をかざし 絶しいき

杉山杉風の辞世の句。杉山杉風(すぎやま さんぷう 正保4(1647)~享保17.6.13(1732.8.3)) は、江戸時代の俳人。通称、藤左衛門または市兵衛。別号に採荼庵、荼舎、蓑翁、蓑杖など。隠居して一元と号した。江戸日本橋本小田原町に住んで、幕府に魚類を納める納屋を営む。屋号を鯉屋といった。俳諧は、父仙風と共に松尾芭蕉門。東下後の芭蕉に親しみ、延宝期には江戸蕉門の中心人物となる。『桃青門弟独吟二十歌仙』(1680)の巻頭をつとめ、その実績をもとに『常盤屋句合』を刊行。貞享期(1684~88)になると、榎本其角、服部嵐雪の活動がはなやかになり、杉風の影はうすくなるが、詩的才能の限界とともに、家業の多忙が災いしたか。元禄6、7(1693・94)年になると、芭蕉の「軽み」によく従い、『別座鋪』の編集に関与。晩年には『冬かつら』『木曾の谷』の刊行もあったが、かつてほどの精彩はなかった。芭蕉のパトロン的存在であり、その真摯な性格により信頼を得た。没後、家蔵の芭蕉真蹟は鯉屋ものとしてよく知られている。

杉山杉風は芭蕉十哲の一人ですが、本業は魚屋でした。豊かな経済力で芭蕉の生活を支え、延宝8年(1680年)に芭蕉が江戸市中から移り住んだ第一次芭蕉庵は、杉風所有の生簀の番小屋でした。『おくのほそ道』の旅を終えてからの第三次芭蕉庵も、杉風が同門の枳風とともに出る費して築いたもので、芭蕉は遺書の中で、「杉風へ申し候。ひさびさ厚志、死後まで忘れ難く存じ候。不慮なる所にて相果て、御いとまごひ致さざる段、互に存念、是非なきことに存じ候。いよいよ俳諧御つとめ候て、老後の御楽しみになさるべく候。」と、感謝の言葉を残しています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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