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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

七十余年快なる哉 
屎臭骨頭(ししゅうこっとう)何の用をか作すに堪へん
咦(いつ)真の帰る処 
作麼生鷹峰(そもさんようほう)月白く風清し

七十余年楽しかった
小便臭い老いぼれになっては何もすることもできな
真に帰る場所とは
鷹峰の月は白く風はすがすがしい

桃水雲渓の遺偈。桃水雲渓(とうすい-うんけい 1612-1683)は、江戸時代前期の僧。慶長17年生まれ。曹洞宗。肥後(熊本県)流長院の囲巌宗鉄の法をつぎ、総持寺、摂津法厳寺などをへて肥前島原禅林寺の住持となる。晩年は寺をでて乞食姿で草鞋や酢をうってくらし、乞食桃水、酢屋道全ともよばれた。天和3年9月19日死去。72歳。筑後(福岡県)出身。別号に洞水。

禅僧には変わった人が多くいますが、桃水雲渓はその中でも極めつけの一人です。雲渓は非常に徳の高い僧侶でしたが、寒山や拾得ばりの乞食坊主を地で行く生活をしました。雲渓は乞食となって諸国を放浪したのですが、京都清水寺の裏山で大勢の乞食の群にまじって生活していると、師の捜索に来た二人の弟子が一緒に帰るように懇願しました。雲渓は帰ることを拒み、乞食こつじきしながら坂本まで来ると、一人の乞食が道端で癩らいを病んで死んでいました。弟子たちに手伝わせて、遺体を埋め丁重に供養しすると、乞食が食べ残した雑炊をとり上げ、半分ほど旨そうに食べ、残り半分を弟子に与えて食べるようにすすめました。蝿はえがたかり悪臭が鼻をつきく飯を弟子たちは満腹と称して固辞しますが、雲渓は厳として許さず、「こんな食物が食べられないのでは、わしとともに行くことはできない」と叱咤しました。弟子たちは口に入れても吐き出してしまい、ついに師について行くことを諦め、雲渓は行脚の旅を続けました。雲渓は天和元年(1681)9月19日に、座禅を組んだまま亡くなりました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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