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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

(死の床にて誰かに質問すると、その人から
"Now you ask ? its not time of knowing"
「ねえ、君は聞くのかい? 今は知る時じゃないよ」と言われ)

It is better to know and die or dont know, and die?.
死ぬのか知らないのか知っておいた方が良いだろ、で死ぬの?

(その男は"When I coming out Biruni home, yet I was closed door i heard mourning of his family. ".
「ビールーニーの家に来た時、まだ閉まっていない扉から、彼の家族が嘆き声が聞こえた」と答えた。)

アブー・ライハーン・アル・ビールーニーの最期の言葉。アブー・ライハーン・ビールーニー[1] ペルシア語: ابوریحان محمد بن احمد بیرونی خوارزمی (アラビア語:アブー・ライハーン・アル=ビールーニー ابو ريحان محمد ابن احمد البيروني الخوارزمي Abū Rayḥān Muḥammad ibn Aḥmad al-Bīrūnī al-Khwārizmī, 973年 - 1048年)は、ホラズム出身の著述家、数学者、天文学者、旅行家、哲学者、薬学者、占星学者。さらに歴史学、言語学にも言及しており、彼の学問分野は広範である。 イスラーム世界を代表する 11世紀の知識人である。アル=ビルニ、アル=ビールーニー(Al-Biruni)とも表記される。973年、ホラズム(今日のウズベキスタン領内)地方の首府カース Kāth 近郊で生まれた。彼の出身名(ニスバ)である「ビールーニー」(bīrūnī)とは、ペルシア語で「郊外」を意味するビールーン(bīrūn)という普通名詞に由来すると言われている。アブー・ナスル・マンスールの下で数学を学び、イラン、中央アジアの各地を遊歴した。イブン・スィーナー(アウィケンナ)とも交流を持った。サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマアムーンなどに仕えたが、ガズナ朝がマーワラーアンナフルを征服するとこれに仕えるようになった。1000年頃、後にゾロアスター教の重要な資料となる『古代諸民族年代記』を執筆した。1017年から1030年にかけて、ガズナ朝のスルタン・マフムードに仕えた。マフムードの十数回に及ぶインド遠征にたびたび随行し、インドの民俗、歴史、法律および言語をまとめた『インド誌』を1030年に完成させた。同年、天文学書『マスウード宝典』をまとめあげた。この本の中で、地球の自転を説き、地球の半径を約6,339.6kmと計算している。現在の観測による数値(赤道面での半径)は6,378kmであり、極めて正確であったといえる。他に薬学全集『サイダナの書』(『薬学の書』)、鉱物事典『宝石の書』を執筆した。著書の数は120を超える。著書は主にアラビア語で執筆されている。『ヨーガ・スートラ』のアラビア語訳などインド関連の著作を20編ほどあり、プトレマイオスの『アルマゲスト』をサンスクリットに翻訳することを試みたが、この翻訳が成功したことを示す証拠は今のところ見つかっていない。ユネスコから世界の記憶(世界記憶遺産)登録を受けた。ちなみに『シャー・ナーメ』の著者フェルドウスィーとも同時代人である。

ビールーニーはイスラム版アリストテレスです。中世イスラム世界の最大の学者の一人である彼の研究は、あまりに広範囲に渡るため、一概に記述するのが難しいのですが、科学において特に有名なのは、地球の自転を説き、地球の半径を約6,339.6kmとかなり正確に計算したことです。彼は数学、天文学、医学などの自然科学だけではなく、地理学、歴史学、言語学などにも秀いで、後にゾロアスター教の重要な資料となる『古代諸民族年代記』や当時のインドの様子を今に伝える『インド誌』を書きました。さて、ビールーニーはイスラム世界を代表する学者ですが、シーア派に属しており、彼の反アラブ的感情は終生変わりませんでした。彼はまず故郷で教育を受け、998年頃ジュルジャーンにおもむき、数学者アブー・アルワファーの弟子について数学を学び、ジヤール朝のカーブースに仕えました。天文学・医学を修めた後、再び故郷に帰ったのですが、ガズナ朝の君主マフムードが来攻した時に捕らえられて彼に仕え、インド征服にも同伴してこの地に長くとどまり、最期はガズナに帰って没しました。彼の旺盛な知的好奇心と鋭い批判的精神とは,中世を通じて並ぶ者がいないのですが、その学術的業績の多くにアリストテレスやアルキメデスらギリシア文明の影響が色濃く見えます。彼が占星術を研究して古代諸民族の暦法・年代を編纂し、地球の自転を説き、宝石・金属の比重を測定した辺りは、その真骨頂です。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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