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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

(医者に,"General, I fear the angels are waiting for you."(将軍、天使があなたを待っているのかと心配します)と慰められて)

Waiting are they? Waiting are they? Well, let 'em wait.

彼らは待ってくれているのか? 彼らは待ってくれているのか? それじゃあ、待っててもらおうかな。

イーサン・アレンの最期の言葉。イーサン・アレン(英: Ethan Allen、1738年1月10日(ユリウス暦) - 1789年2月12日(グレゴリオ暦)は、アメリカ独立戦争初期の活動家であり、バーモント共和国とニューハンプシャー特権地の時代のゲリラ指導者である。アレンはニューヨーク植民地によるバーモントの植民に反対して戦い、アメリカ独立戦争中はその独立のために戦った。アレンは、バーモントをアメリカ合衆国の14番目の州にする道を作ったとして、アメリカ合衆国建国の父の一人に数えられる。イーサン・アレンは、コネチカット植民地のリッチフィールドで、ジョセフ・アレンとメアリー・ベイカー・アレン夫妻の最初の子として生まれた。アレンが生まれた直ぐ後に一家がコーンウォールに移動したため、リッチフィールドで生まれたのはアレン一人であり、弟妹7人はコーンウォールで生まれた。アレンの弟、アイラ・アレンはバーモントの歴史の初期で傑出した人物である。父親のジョセフ・アレンは、ニューハンプシャー特権地におけるニューハンプシャー植民地の裏書きによる土地利用権を所有する土地所有者や土地投機家の反抗的一団の中での指導者であった。ニューヨーク植民地もその地域における利用権を主張しており、ニューハンプシャーの裏書きによる土地利用権を否定し、多くはバーモントに住んでいない異なる人々にその所有権を販売していた。このためバーモントの住人の間に表立った反抗が生まれていた。1755年に父親のジョセフ・アレンが死ぬと、イーサン・アレンは一家の農園の経営と土地の所有権問題を引き継ぐことになり、大いにうろたえることになってしまった。アレンは身長が6フィート (約 1.80 m)を超えていた。率直で歯切れの良い物言いをした。24歳の時にフレンチ・インディアン戦争で植民地民兵隊に従軍した。1770年代の初期、アレンはニューハンプシャー特権地問題で反ニューヨークを旗印にする軍事的集団「グリーン・マウンテン・ボーイズ」の指導者として知られるようになった。アレンとグリーン・マウンテン・ボーイズはバーモント共和国 (1777-1791)の創立に貢献し、後にアメリカ合衆国の一つの州にすることになった。この時はニューヨーク植民地政府が反発し、アレンの逮捕状を発行し、協力者に賞金100ポンドを提供することになった。1775年の春のアメリカ独立戦争の開始に続き、アレンとベネディクト・アーノルドがタイコンデロガ砦を襲ってこれを奪取した。この時のアレンとアーノルドの役割については全体がはっきりしていない。コネチカットの反イギリス勢力がどの程度作戦を組み立てたか不明であるし、バーモント植民地ベニングトンのキャタマウント酒場に本部を置くグリーン・マウンテン・ボーイズの考え方がどのように展開していたかも不明である。はっきりしている事は、革命勢力が北へ動き、数十人でシャンプレーン湖を渡ったということである(ボートを見つけるのに苦労したし、やっと見つけたものはかなり小さかった)。暁の攻撃でタイコンデロガ砦にいた守備兵(彼らは戦争が始まったことも知らなかった)から砦を奪取した。アレンとアーノルドの革命軍は直ぐに、今日のカナダ国境に近いクラウンポイント砦とラ・モット島のアン砦を奪い、一時的にではあるがセントジョンの町(現在はケベック州サン・ジャン・シュル・リシュリュー)も抑えた。タイコンデロガ砦で捕獲した大量の大砲と火薬は、手詰まりとなっていたボストン包囲戦を打開するきっかけになり、1776年3月のイギリス軍撤退に繋がった。グリーン・マウンテン・ボーイズの指導者にはアレンの従兄弟、セス・ワーナーが選ばれた。アレンは1775年のカナダ侵攻作戦に参加し小さな民兵隊を率いた。この時連絡ミスと判断ミスの結果として、アレンは一握りの部隊でモントリオール攻撃中にイギリス軍に捕まってしまった(ロングポイントの戦い)。アレンはイギリス本国に送られ、コーンウォールのペンデニス城に収監されかなりの虐待も味わった。1778年5月3日、アレンはニューヨーク港のスループ型帆船に乗せられ、スタテンアイランドに送られた。そこでは、キャンベル将軍の宿舎に行き、イギリス軍の将軍や数名の士官と飲食を共にし、2日間丁重にもてなされた。3日目に、ジョージ・ワシントン将軍に指名された大陸軍の捕虜兵站総監であるエリアス・ブーディノット大佐が差配した捕虜交換によって、アレンはアーチボールド・キャンベル大佐と交換された。アレンはバーモントに戻ったが、そこは不満の温床になっており、イギリス軍側に付くか新生アメリカ側に付くかで揺れ動いていた。バーモントはイギリス軍からも大陸軍からもかなり多くの脱走兵の避難所になっていた。アレンは、今日ではバーリントン市となったウィヌースキ川の下流デルタにあった自家で落ち着いた。アレンはバーモントの議会では活発に活動を続け、バーモント軍の将軍にも指名された。1778年、アレンは大陸会議の場に登場しバーモントが独立した国となったことを認識するよう促した。ニューヨーク植民地とニューハンプシャー植民地の間のバーモントに関する紛争が残っていたため、大陸会議はバーモントの独立を認めることに逡巡した。アレンは続いて、1780年から1783年にかけてカナダ総督と交渉を続け、バーモントを軍事的に守るためにイギリスの植民地の一つとして生き残りを図った。このために大陸会議はアレンを反逆罪で告発した。しかし、カナダとの交渉が明らかにバーモントにおける軍事行動を起こされた場合を想定したものであったので、告発が起訴されることは無かった。アレンは1789年2月12日にバーリントンにおいて脳卒中で死んだ。51歳。遺骸はバーリントンのグリーン・マウント墓地に埋葬された。

イーサン・アレンはアメリカ独立戦争初期の活動家であり、バーモントをアメリカ合衆国の14番目の州にする道を作った、アメリカ合衆国建国の父の一人に数えられる人です。彼の最大の戦功は、タイコンデロガ砦の奪取ですが、これについてはよく分かっていない部分も多くあります。アメリカ独立戦争が始まってから1ヶ月も経っていない時に、イーサン・アレンとベネディクト・アーノルドが指揮を執るグリーン・マウンテン・ボーイズの小さな部隊と、マサチューセッツ湾植民地とコネチカット植民地の志願民兵隊が、タイコンデロガ砦を急襲して奪取しました。この時アレンは、イギリス守備隊指揮官ウィリアム・デラプレイスに「出て来い、古ネズミ!」と言ったとされています。アーノルドとアレンは、イギリス軍がアメリカ植民地を分割しようという試みに対して、タイコンデロガ砦を防御拠点とする必要性を主張し、併せてケベックの守りが薄いことも指摘し、1775年9月25日に、イーサンは少数の大陸兵とカナダ人民兵を使って、イギリス軍の占めるモントリオールを奪おうとしました。しかしロングポイントの戦いにおいて、アレンが援軍を連れて現れると思っていたジョン・ブラウンが作戦通りに到着せず、アレン隊は川の北岸で孤立してしまい、アレンとその兵士の多くは捕虜となってしまいました。アレンとその他の捕虜はモントリオール市に連れて行かれ、イギリス軍のリチャード・プレスコット大佐が捕まえたカナダ人を殺そうとしていたのを、アレンは「彼らが武器を取った責任は私一人にある」と言ってそれを抑えさせました。アレンは監獄船に収監され、最後はイングランドに送られました。そこではほぼ監獄船の中で1年間を過ごし、イギリス当局が彼を絞首刑にすれば殉教者を作ってしまうことを恐れたために、1776年11月にイギリス軍の占領するニューヨーク市で仮釈放され、最終的に1778年5月、イギリス軍士官アーチボルド・キャンベルとの捕虜交換で釈放され、新生間もないバーモント共和国のために軍事と政治の活動を再開しました。しかし、当時のバーモントは不満の温床になっており、イギリス軍側に付くか新生アメリカ側に付くかで揺れ動いており、バーモントはイギリス軍からも大陸軍からもかなり多くの脱走兵の避難所になっていました。このような状況下で、アレンは議会で活発に活動を続け、大陸会議ではバーモントが独立した国となったことを認識するよう促しました。上記のの最期の言葉についてですが、書かれている資料によっては、"Waiting, are they? Waiting, are they? Well, goddam 'em, let" と"goddam"(ちくしょう)という下品なことばがついている場合もあります。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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