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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Why do you drink that stuff, Ozzy? One of these days it's gonna kill you.

そんなに酒飲んで何考えてるんだオジー? いつかそれで死ぬことになるぞ。

ランディ・ローズの最期の言葉。ランディ・ローズ(Randy Rhoads、本名ランドール・ウィリアム・ローズ、男性、1956年12月6日 - 1982年3月19日)は、ギタリスト。クワイエット・ライオット及びオジー・オズボーンのバンドのギタリストであったことで知られる。1982年、オジー・オズボーンの全米ツアー中に遊覧飛行で乗った軽飛行機の墜落事故により、25歳で生涯を終えた。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第85位、2011年の改訂版では第36位。1956年12月6日、カリフォルニア州・サンタモニカのセント・ジョーンズ病院で生まれる。1963年の誕生日に、祖父からギブソンのアコースティック・ギターをプレゼントされ、ギターを始める。ランディの当時の憧れは、エルヴィス・プレスリーであったという。1965年、8歳の頃、ロックギターに目覚める。1969年から、母親の経営する音楽学校で講師をしていたスコット・シェリーからエレクトリック・ギターのレッスンを受け始める。1年過ぎた頃には、スコットから「僕が教えられることを彼は総て覚えている」と言われるほど上達していた。同時期、母親の勧めでピアノのレッスンも受けていたが、こちらはあまり長続きはしなかったが、楽譜を読むことをマスターした。1970年頃、兄ケル・ローズと共にヴァイオレット・フォックスを結成。バンド名の「ヴァイオレット」は、母のミドルネームから拝借されているが、バンドは5か月で解散している。後のクワイエット・ライオットに参加するまでの間は、ディープ・パープルのリッチー・ブラックモアをひたすらコピーし、腕を磨いたと言う。同時期、後にクワイエット・ライオットに参加するケリー・ガルニと出会ったのもこの頃であった。1973~1975年頃、クワイエット・ライオットを結成するまでの間、幾つかのローカルバンドで活動する傍ら、母親の音楽学校でギターの講師を勤める事になる。ランディの生徒の中には、後にオジー・オズボーンバンドに加入するジョー・ホームズの姿もあった。ランディは、後に「生徒に教えることで逆に多くのことを学んだ」と、振り返っている。1975年、ランディを中心にクワイエット・ライオットが結成される。母ドロレスの回想によれば、オーディション参加したケヴィン・ダブロウはランディに自分の部屋でオーディションをするから部屋に来てくれと言い、オーディションを開始。ケヴィンはバンドに熱心だったようであり、ランディに「もし俺に気に入らないところがあれば言ってくれ!」と猛アピールしていたとのことである。その後、ケヴィンの加入が決定したものの、ドラマーだけが中々決まらず、何人ものメンバーチェンジの末、ドリュー・フォーサイスの加入が決定。デビューライブには1,500人以上ものファンが押し寄せた。1977年、デモテープを制作し、各国のレコード会社にテープを送ったものの、最終的にコンタクトが取れたには日本のCBSソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)のみであり、これにより、本国アメリカではデビュー出来なかったものの、日本でのデビューを飾るところまでに扱ぎつけることとなった。1978年3月、CBSソニーより『静かなる暴動 (QUIET RIOT)』で日本デビューを飾る。しかし、秋にはジュニア・スクール時代からの友人であったケリー・ガルニが脱退、後任には後にランディと共にオジー・オズボーンバンドで活動するルディ・サーゾが加入。12月には、セカンド・アルバム『暴動に明日はない (QUIET RIOT II)』をリリースするも、このアルバムも日本のみのリリースで、全米で発売される事はなかった。1979年、ランディはルディから「ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーンが新しいギタリストを探している」と教えられる。当時のランディは朝に練習、昼から夜まで講師としての活動、週2~3日はバンドの練習、週末にはライブと多忙であり、ランディ自身も「僕はクワイエット・ライオットをやっているから興味がない」と断っていたが、オジーの友人であるダナ・ストラム(スローター)がオジーに「オジー、君はイギリスに帰る前に必ずランディのプレイを観るべきだよ」と勧めたこと、母ドロレスの「オジーは長い間、ミュージック・ビジネスにいるんだし、そう言う人に会う事も必要よ」と告げたこともあり、オジー・オズボーンバンドのオーディションを受けに行く事を決意した。ランディは夜遅く、オジーの泊まるホテルに行き、ギターのチューニングを開始すると同時にオジーは「You got a job!」(さあ、君に決まりだ!)と大きな声で叫び、バンド加入が即決した。オジーやマネージャーであるシャロン・アーデン(現シャロン・オズボーン)曰く、ランディの全身から放つオーラに惹かれたことで加入を決めたと振り返っている。1979年9月、オジーバンドに加入に伴い、クワイエット・ライオットは自然消滅。日本デビューはしたものの、日本公演を行う事はなかった。そしてランディは、活動の場をオジー・オズボーンの元へ移す。11月にはアルバム制作に取り組み、1980年3月にボブ・デイズリー(ベース)、リー・カースレイク(ドラム)らと共にロンドンのリッジ・ファーム・スタジオでレコーディングが開始される。1980年8月、ファースト・シングルとして「Crazy Train」をリリース。9月には、アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説 (BLIZZARD OF OZZ)』をリリースと同時に全英ツアーを開始。アルバムは発売直後、全英チャート15位を記録、ランディは新たなギターヒーローとして注目を集めることとなった。1981年にはセカンド・アルバムの制作及びレコーディングを開始、4月にはファースト・アルバム『BLIZZARD OF OZZ』が全米でリリースされ、同時期に全米ツアーを開始。10月には、セカンド・アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン (DIARY OF A MADMAN)』をリリース。12月にはプラチナムディスクに輝き、アメリカでも大規模なアリーナツアーを展開。全てが順風満帆に行くと思われた矢先、翌年3月フロリダ州リースバーグにて飛行機事故により操縦士、シャロンの古い友人であるメイクアップ・アーティスト、ランディを乗せた小型飛行機が墜落し、3人はオジーの目の前で即死。若きギターヒーローが才能を開花させようとしていた矢先の出来事であった。25歳であった。 後にオジーは一度引退するが、その時にランディ宛に手紙を書いた。ランディの死はオジーに大きなショックを与え、ブラック・サバス時代以上に酒や薬に溺れ、手が付けられない状態であったと言う。また、音楽評論家の伊藤政則の回想によれば、当時のオジーはランディの名前を出す度に大声で泣き出し、インタビューにならなかったと振り返っている。

ランディ・ローズはへヴィメタル史上最も伝説的なギタリストの一人です。彼はヘヴィメタルにクラシックの要素を取り入れましたが、これは同年代の同世代のイングヴェイ・マルムスティーンよりも早くになされていました。実際、死の直前の頃には、ランディはクラシック・ギターへの思い入れが強くなり、親族の話によると彼はクラシック・ギタリストとしての生き方への転換を本気で考えていたとされています。また、親友であったルディ・サーゾには、オジー・オズボーン・バンドを脱退して音楽学校に入学し、クラシックギターで学位を取る意思を明かしていました。同時期の改革者としてよく比較される人物に、エディ・ヴァン・ヘイレンが挙げられるが、アメリカ的な明るさを前面に出したエディのプレイに対して、ヨーロッパ的な湿っぽさを残したギターはオジー・オズボーン・バンドに最高のマッチングを見せました。ランディはマイナーバンドを経て、オジー・オズボーンに見出されて、一躍トップスターの仲間入りを果たしました。ファーストアルバムの『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説 (BLIZZARD OF OZZ)』が全英チャート15位を記録しましたが、このアルバムはヘヴィメタルの世界では伝説の名盤となっています。ところが、セカンドアルバムを作り終わった後、軽飛行機の墜落事故により、25歳で生涯を終えてしまいました。上記のとおり、ランディは死の直前までオジーと酒のことで口論しており、彼が亡くなったのはオジーの目の前でした。

Crazy Train: LIVE Randy Rhoads
https://www.youtube.com/watch?v=ZcoweoZ6jpM
おまけ Ozzy doing CRAZY TRAIN with very young Japanese guitarist Yuto Miyazawa.
https://www.youtube.com/watch?v=k1lG1y0R6sU
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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