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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

'και συ τεκνον;' (kai su, teknon?)
You too, my child?

お前もか我が息子よ

ガイウス・ユリウス・カエサルの最期の言葉。ガイウス・ユリウス・カエサル(古典ラテン語:Gaius Iulius Cæsar、紀元前100年 - 紀元前44年3月15日)は、共和政ローマ期の政治家、軍人であり、文筆家。「賽は投げられた」(alea iacta est)、「来た、見た、勝った」(veni, vidi, vici) 、「ブルータス、お前もか (et tu, Brute?)」などの特徴的な引用句でも知られる。また暦で彼の名称が使用されていた(ユリウス暦)時期が存在していた。マルクス・リキニウス・クラッスス及びグナエウス・ポンペイウスとの第一回三頭政治と内戦を経て、ルキウス・コルネリウス・スッラに次ぐ終身独裁官(ディクタトル)となり、後の帝政の基礎を築いた。紀元前100年頃 - ローマで生まれる。紀元前82年 - スッラがローマへ侵攻。カエサル、キリキアへ逃れる。紀元前78年 - スッラ死去。カエサル、ローマへ帰還。紀元前69年 - クァエストルに選出され、ヒスパニアへ赴任する。紀元前65年 - アエディリスに選出。紀元前63年 - 最高神祇官選挙で対立候補を破って当選。カティリナ事件。紀元前62年 - プラエトルに選出。紀元前61年 - プラプラエトル格でヒスパニア総督に選出。紀元前59年 - コンスルに選出(同僚はマルクス・カルプルニウス・ビブルス)。三頭政治の開始。紀元前58年 - プロコンスル格でガリア地区の総督に選出。ガリア戦争が勃発(紀元前51年まで)。紀元前56年 - ルッカ会談。紀元前53年 - クラッスス戦死、三頭政治が事実上崩壊。紀元前52年 - アレシアの戦い。紀元前49年 - ルビコン渡河。ローマ内戦の開始。紀元前48年 - ファルサルスの戦い。ポンペイウス、エジプトで殺害。紀元前46年 - タプススの戦い。初の凱旋式、10年期限のディクタトル(独裁官)に選出。紀元前45年 - ムンダの戦い。ローマ内戦が事実上終結。終身独裁官に選出。紀元前44年 - ローマ元老院議場内で暗殺。

カエサルの最期の言葉として"et tu, Brute?"(ブルータス、お前もか)があまりにも有名ですが、現実に彼が言ったことばとは少し違います。「ブルータス、お前もか」はシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』で使われたセリフで、これがカエサルの最期の言葉として定着してしまいました。カエサルはローマの終身独裁官となり、後の皇帝の一般名詞となりました。カエサル(Caesar)は、ローマ帝国およびその継承国家で用いられた君主号となりました。ドイツ語のKaiser(カイザー)もロシア語のцарь(ツァーリ)も、語源は彼の名前に由来します。彼の業績はあまりに膨大なため、到底書ききれるものではありません。後の帝政の基礎を築いたカエサルでしたが、多くの偉大な王達と同じく侵略者としては最悪に近い人でもありました。カエサルはガリア戦争に勝利し、ガリア全域をローマの支配圏に組み入れ、彼自身も将軍としての実績を積んで権威を高め、ガリアからの莫大な戦利品により財産を蓄えました。と同時に、この戦争により古代ガリア人・ゲルマン人の貴重な文明は破壊され、ローマ化されていくことになりました。そして、名声高まるカエサルの勢力を恐れた元老院派はポンペイウスと結んでカエサルと対抗する姿勢を強め、紀元前49年1月10日のカエサル及び配下のローマ軍団によるルビコン川渡河から始まるポンペイウス及び元老院派との内戦へ突入することとなりました。あの有名な「賽は投げられた」(alea iacta est)と言葉で始まったローマ内戦は、イタリア、ギリシア、エジプト、北アフリカ及びヒスパニアで争い、カエサル派が最終的に元老院派を打倒して独裁体制を確立させました。しかし、カエサルが終身独裁官としての絶対的な権力を持ったことに対し、マルクス・ユニウス・ブルトゥスやガイウス・カッシウス・ロンギヌスら共和主義者は共和政崩壊の危機感を抱きました。そして、事件は元老院の開会前に起りました。ポンペイウス劇場に隣接する列柱廊(現在のトッレ・アルジェンティーナ広場内)でマルクス・ブルトゥスやカッシウスらによってカエサルは暗殺されました。23の刺し傷の内、2つ目の刺し傷が致命傷となったそうです。彼の業績としては、多数の軍事的成功によるローマ国境内の安定化により、後のパクス・ロマーナの基礎を築いたことでしょう。また文筆家としても天才的な人物であり、キケロと並ぶラテン語散文の名手として、『ガリア戦記』などの貴重な文献を世に残しました。弁舌家としても有名で、同じく弁舌で知られたキケロも賞賛したとされています。現在でもドイツの歴史家であり、ローマ史によってノーベル文学賞を受賞したテオドール・モムゼンは、「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と評しました。では、政治はともかくとして、実際のカエサルの人間性はどうであったかというと、彼が元老院議員として初めて表舞台に出た頃の評価は「借金王」や「ハゲの女たらし」と言ったもので、事実、彼の借金は天文学的でとてつもない金額でした。赴任したヒスパニアで現地の部族より金を無心したり、ガリアで現地部族が奉納している神殿や聖域にあった宝飾物を強奪し、金目当てで街を破壊して回ったり、また、ローマでもカピトリヌスの神殿に奉納していた金塊を盗み、同重量の金メッキをした銅を戻したなど、彼のとんでもない強欲さを示すエピソードは数多くあります。「ハゲの女たらし」というのも、事実そのままで、頭髪が薄いことを政敵から攻撃されたため、はげた部分を隠すのに苦労していました。内戦を終結させた業績を認められたことにより、いつ、どこでも月桂冠を被る特権を与えられた時は大変喜んだそうです。当時のカエサルが前髪の薄さを隠すためにしていた髪型はシーザーカット(カエサルカット)と呼ばれており、ヨーロッパでは古くから典型的な男性の髪型の一種となるという流行まで生み出しました。「女たらし」の部分は有名すぎて言う必要もないかもしれません。カエサルには多くの愛人がいましたが、一説によれば元老院議員の3分の1が妻をカエサルに寝取られたと伝えられています。これでは元老院に恨まれても仕方がなかったでしょう。カエサルの凱旋式においての軍団兵たちは「夫たちよ、妻を隠せ。薬缶頭(ハゲ)の女たらしのお通りだ」と叫んだとも言われています。カエサルは生前に死に方を問われた際に「思いがけない死、突然の死こそ望ましい」と答え、合わせて「私が無事息災でいることは、ローマのためにも必要である。私は長い間権力を握っており、もし私の身の上に何かが起こったら、ローマは平穏無事であるはずがない。もしかすると悪くなる可能性があり、内乱が起こるだろう」と語ったと伝えられています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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