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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Writer―Actor―Humanist
Musicien―Membre de l'Institut

作家、役者、ヒューマニスト
音楽家、フランス学士院会員

ピーター・ユスティノフの墓碑銘。ピーター・アレクサンダー・ユスティノフ(Sir Peter Alexander Ustinov, 1921年4月16日 - 2004年3月28日)は、英国のアカデミー賞受賞俳優で、小説家、脚本家、劇作家、映画監督。CBE受勲者。ピーター・アレクサンダー・フォン・ユスティノフ(Peter Alexander Baron von Ustinov)としてロンドン市内で生まれる。ユスティノフの父親Jona von Ustinovはロシア系のドイツ人。第1次世界大戦中はドイツ軍の空軍で活躍、1930年代英国に移住してドイツ大使館に勤め、その後ドイツの新聞社の特派員を務めた後、英国のMI5で働き第二次世界大戦前は対ドイツの諜報を専門に行っていた。ユスティノフ自身の回顧録によると、自宅で英国とドイツの上級官僚が密談していたという。ユスティノフの母親はフランス、イタリア、エチオピア王室の血脈を受け継いだロシア人の画家兼バレエのステージデザイナーであった。彼女の父親は著名なロシアの建築家であり、また兄はストラヴィンスキーとディアギレフと共に働いたステージデザイナーであった。このような家庭環境のためか、彼は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、スペイン語を流ちょうに 操り、またトルコ語や現代ギリシア語も喋った。彼は ウェストミンスター学校で教育を受けたが中退し、1938年早くも17歳でロンドンのプレイヤーズ・シアターで舞台デビューを、翌年には自作の戯曲の主演を務めるようになる。第2次世界大戦中は、一兵卒として陸軍に配属されるが、デヴィット・ニーブンと共に軍でのプロパガンダ映画の中で俳優として演じるようになった。彼は、この時すでに映画の脚本も書いていた。彼の最初の成功は"The Love of Four Colonels"(1951年)という作品である。また、自作自演で出演した『びっくり大将』"Romanoff and Juliet"(1956年)は最も良く知られた作品である。彼の出演した作品は『クォ・ヴァディス』(1951年)での皇帝ネロや『スパルタカス』(1960年)のバタイアタス役、SF映画『2300年未来への旅』での老人役、アガサ・クリスティ原作の『ナイル殺人事件』(1978年)をはじめとする6本のエルキュール・ポアロ役などがある。彼は、俳優や脚本のみならず、映画監督もつとめた作品も何本かある。彼はアカデミー賞助演男優賞を『スパルタカス』(1960年)と『トプカピ』(1964年)の2作品で獲得した。ゴールデングローブ賞の助演男優賞も『クォ・ヴァディス』(1951年)で獲得している。1957年と1967年、1970年にエミー賞を受賞している。また、彼は1952年から55年にかけてBBCのラジオ・コメディにも出演して、とても愛されるキャ ラクターを演じた。また、テレビでも巧みな話術でお茶の間の人気者になった。彼の博識な語学力を生かしてドイツ人から見た英国人などのようにとてもユーモアにあふれたジョークを連発していた。また文壇界でも活躍していて長編小説を3作、短編集も2冊出版している。1969年から亡くなる時までの間ユニセフの友好親善大使と基金発案者を兼務していた。彼の明るいキャラクターと人を笑わせる話術の賜物であった。また、1991年から世界連邦運動の推進委員を務めていた。また、中華人民共和国のよき理解者であった。「世界中の人々は、多くの人権を蹂躙している中国政府のやりかたにイライラしている。しかし、膨大な人口を抱えるためになかなか問題は解決しない。」と2000年、ダラム大学の講演で述べて いる。ほかにドキュメンタリーへの出演や司会役・インタビュアーも多く、1984年10月31日にはインドのデリーでインディラ・ガンディー首相にインタビューする最中に彼女の暗殺に遭遇、その現場に居合わせたこともある。彼はベルギーのブリュッセルの大学から名誉博士号を授けられた。1960年代後半、税金逃れでスイスに移住したのだが、1990年に彼はナイト爵を授けられた。1970年代後半からダンディー大学の総長として、また1992年からはダラム大学の大学総長の任務にあたった。2003年ダンディー大学が移転したとき、名称をユスティノフ大学と改名した。また、最晩年は世界連邦運動の会長を務めた。2004年晩年を過ごしたスイスで亡くなった際には、国連総長のコフィ・アナンの代理として、ユニセフの理事キ ャロル・ベラミーが弔辞を述べた。

ピーター・ユスティノフは俳優として有名ですが、上記の墓碑銘の通り、極めて多才な人物でした。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ロシア語、スペイン語を流ちょうに操り、またトルコ語や現代ギリシア語も喋った彼ですが、非常に優れたユーモアと話術の持ち主でもありました。17歳でロンドンのプレイヤーズ・シアターで舞台デビューし、自作自演のボートビルの寸劇で早熟な才能を発揮しました。20代に入ると、次々と劇作を発表して話題をまき、俳優としてばかりでなく、劇作、演出、制作も手がけ映画監督もつとめた作品も何本かあります。彼の演じた役で一番有名なのはエルキュール・ポアロ役でしょうか。彼はアカデミー賞を2度も受賞していますが、スタンリー・キューブリッ ク監督の『スパルタカス』(1960年)のバタイアタス役と、サスペンス・コメディ映画『トプカピ』のアーサー・サイモン・シンプソン役で、それぞれアカデミー助演男優賞を受賞しました。大英帝国勲章を受勲されたのですが、この勲章はイギリスの騎士団勲章の中では最も新しく、功績の対象を経済人、文化人、芸能人、スポーツ選手や社会奉仕活動等と広く定めています。勲章には次のランクがあります。1ナイト・グランド・クロス又はデイム・グランド・クロス(大十字騎士 GBE)2ナイト・コマンダー又はデイム・コマンダー(司令官騎士 KBE/DBE)3コマンダー(司令官 CBE)4オフィサー(将校 OBE)5メンバー(団員 MBE)です。ユスティノフが受勲されたのはCBEでしたが、1990年にはナイト爵を授けら れました。ユスティノフは最晩年には、世界の全ての国家を統合した世界連邦の成立を目指す国際的な非政府組織である世界連邦運動の会長を務めました。この運動にはバートランド・ラッセル、アルベルト・アインシュタイン、アルベルト・シュバイツァー、ウィンストン・チャーチル、湯川秀樹などのそうそうたるメンバーが賛同していたのですが、あまりに高邁な理想主義ゆえに世界連邦が現実に実現に向かっているといった動きはほとんどありません。ユスティノフの最期は、晩年を過ごしたスイスの地で亡くなりました。享年82歳。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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