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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Hic situs est Rufus, pulso qui Vindice quondam imperium asseruit non sibi sed patriae.

Here lies Rufus, who after defeating Vindex, did not take power, but gave it to the fatherland

ルフスここに眠る。ガイウス・ユリウス・ウィンデクスを破りながらも。権力を奪取することなく、それを祖国へと返した。

ルキウス・ウェルギニウス・ルフスの墓碑銘。ルキウス・ウェルギニウス・ルフス(Lucius Verginius Rufus, 14年 - 97年)は、古代ローマ帝国ユリウス・クラウディウス朝・フラウィウス朝時代の軍人。のちに元老院議員となる。四皇帝の年初期に起こったガイウス・ユリウス・ウィンデクスの反乱を鎮圧し、またローマ皇帝ネロに代わる皇帝としての軍団兵からの皇帝位への擁立を拒否した。(以降、この人物を氏族名の「ウェルギニウス」と省略して呼ぶことにする)現在の北イタリアのエクィテス階級身分として生まれる。63年、ネロの治世にコンスルに選ばれ、上ゲルマニア属州にプロコンスルとして派遣される。67年にウィンデクスがネロに反乱を起こすとウェルギニウスは鎮圧に向かい、68年に制圧。その後、ルフスはガルバに対抗する形で配下の軍団兵より皇帝へと擁立されようとするが、これを拒否、代わりに低地ゲルマニア総督のウィテリウスを支持する。その後ウィテリウスは元老院より皇帝として承認されることになるが、彼自身はその後ゲルマニアの軍団から離れローマへ戻り、十数年を詩作など文学を嗜みつつ穏便に過ごした。次に彼の名が出てくるのはドミティアヌスが暗殺され、ネルウァが皇帝になったときである。ネルウァは引退しつつあった年老いたウェルギニウスを同僚執政官としたが、その際に演説を行う時に、手から落とした書物を取ろうと身をかがめて転び、その怪我がもとで没した。ウェルギニウスの葬儀は国葬をもってなされた。

ウェルギニウスは軍人としてだけでなく、人間として非常に尊敬の出来るローマ人でした。彼はエクィテスという古代ローマにおける騎士階級に生まれました。当時のエクィテスは皇帝直属の側近として重用され、皇帝家の私領とされたエジプト属州や政情の安定しないユダヤ属州の長官職や、本土イタリアに駐屯する唯一の軍事戦力として皇帝の護衛を務める親衛隊長官などを独占的に任せられ、皇帝による統治を支える存在でした。63年、ネロの治世にはさらに、コンスルに選ばれ、上ゲルマニア属州プロコンスルとして派遣されました。コンスルとは定員は2名の都市ローマの長であり、共和政ローマの形式上の元首に当たる役職です。平時は内政の最高責任者として政務を執り、戦時は軍団を組織するとともに軍団の最高指揮官として軍務を掌握しました。王政が復活するのを防ぐ意味もあり、任期は1年だったのですが、2名の執政官だけで対処できない事態が発生した場合などは、必要に応じて、執政官経験者にプロコンスル(前執政官)の職でインペリウムを与えて事態の収拾に当たらせることもあり、後にこの制度は常設化して、プロコンスルらに属州総督として属州経営を担わせるようになりました。プロコンスルとは、属州総督、執政官代行官、代理執政官などとも訳されます。ウェルギニウスの頃になると、コンスルを任期満了で退任した者が、その後1~3年の間、プロコンスルとしてローマの属州総督として派遣されるようになっていました。ウェルギニウスはローマ内戦によりローマ皇帝として4人が次々と擁立された原因となった、69年のガリア・ルグドゥネンシス属州総督ガイウス・ユリウス・ウィンデクスの反乱を鎮圧しました。ウィンデクスは支持を受けるためにガルバを皇帝にと擁立しようとしていたのですが、反乱が鎮圧されたことにより、ルフスはガルバに対抗する形で配下の軍団兵より皇帝へと擁立されようとしたのですが、これを拒否しました。これは軍人として非常に立派な態度でした。その後ウェルギニウスはウィテリウスという、どうでもいい無能な皇帝を支持しますが、ウェルギニウス自身は政治には興味を失っていたようで、ゲルマニアの軍団から離れローマへ戻り、十数年を詩作など文学を嗜みつつ穏便に過ごすという、非常に懸命に時を過ごしました。さて、ウェルギニウスの最期についてですが、案外にあっけないです。彼はドミティアヌスが暗殺され、ネルウァが皇帝になった時、ウェルギニウスを同僚執政官としたのですが、演説しようとした時に、手から落とした書物を取ろうと身をかがめて転び、その怪我がもとで亡くなってしまいました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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