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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Aqui jaz, muito a contragosto, Tancredo de Almeida Neves.

Here Tancredo de Almeida Neves lies, very unwillingly.

非常に不本意ながら、タンクレード・ネーヴェスはここで横になっています。

タンクレード・ネーヴェスの墓碑銘。タンクレード・デ・アルメイダ・ネーヴェス(ポルトガル語: Tancredo de Almeida Neves、1910年3月4日 - 1985年4月21日)は、ブラジルの政治家。ブラジル連邦共和国大統領当選者であった。ブラジル・ミナスジェライス州出身。1985年1月、国会議員を中心とする間接選挙で連立野党の候補として出馬し、74歳という高齢で大統領に選ばれた。民主化後の21年ぶりの文民大統領であるため国民から期待されたが、3月14日の大統領就任式前夜、数ヶ月わずらっていた消化器官の病気のため教会のミサ中に倒れ急遽ブラジリアの病院に担ぎ込まれた。社会現象になるほど国民が心配し見守る中7回の手術を受けたが、5週間後にサンパウロで死去。大統領としての執務は副大統領のジョゼ・サルネイが代行し、結局ネーヴェス自身が大統領に就任することはなかった。

世の中には運の悪い人がいますが、タンクレード・ネーヴェスはブラジルの大統領に当選して、就任式の前夜に病に倒れ、そのまま亡くなってしまった人です。当選しながらも実際に政務を行った日が一日もなかった大統領というのは、世界的に見ても珍しいのではないでしょうか。一応、1985年3月15日から亡くなる1985年4月21日までが、就任期間とされていますが、そのほとんどは病院のベッドで横になっていました。ネーヴェスは軍事政権に終止符を打ち、国民の期待を一身に受けて当選しただけに、その無念の想いは推して知るものがあります。彼は軍事クーデターが起きる1964年以前から大臣職を歴任していた重鎮であり、所属政党が軍政支持に転じた旧・民主社会党(PSD、現在の同名政党とは無関係)であったため、政治活動の停止や要職を追われるという迫害には直面しなかったものの、軍政に強く反発したため、軍政を体制翼賛的に支えた国家革新同盟(ARENA)には入党せず、唯一の野党として65年に結党が許されたブラジル民主運動(MDB)に入って政治活動を続けました。そして、ようやく努力が花開き、彼が大統領となった矢先に悲劇は起こりました。ブラジル人は国を挙げてかれの回復を祈りましたが、残念ながらかれは帰らぬ人となってしまいました。ちなみにネーヴェスが職務不能の間に職務代行を行っていたジョゼ・サルネイという人物は、国民から非常に不人気であったことで知られています。上記の墓碑銘は、権力の座について政治を行おうという正にその時に亡くならねばならなかった、彼の偽らざる本音でしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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