09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

今日の辞世の句 

鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあるらむ

柿本人麻呂の辞世の句。柿本人麻呂は飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三 十六歌仙の一人。彼の経歴は『続日本紀』等の史書にも書かれていないことから定かではなく、『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などが唯一の資料 である。一般には天武天皇9年(680年)には出仕していたとみられ、天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。ただ し、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある。賀茂真淵によって草壁皇子に舎人として仕えたとさ れ、この見解は支持されることも多いが、決定的な根拠があるわけではない。彼は『万葉集』第一の歌人といわれ、長歌19首・短歌75首が掲載されている。 その歌風は枕詞、序詞、押韻などを駆使して格調高い歌風である。また、「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ まさきくありこそ」という言霊信仰に関する歌も詠んでいる。長歌では複雑で多様な対句を用い、長歌の完成者とまで呼ばれるほどであった。また短歌では 140種あまりの枕詞を使ったが、そのうち半数は人麻呂以前には見られないものである点が彼の独創性を表している。人麻呂の歌は、讃歌と挽歌、そして恋歌 に特徴がある。賛歌・挽歌については、「大君は 神にしませば」「神ながら 神さびせすと」「高照らす 日の皇子」のような天皇即神の表現などをもって高らかに賛美、事績を表現する。この天皇即神の表現については、『記紀』の歌謡などにもわずかながら例がないわけではないが、人麻呂の作に圧倒的に多く、この歌人こそが第一人者である。また人麻呂以降には急速に衰えていく表現で、天武朝から持統朝という律令国 家制定期におけるエネルギーの生み出した、時代に規制される表現であるといえる。その終焉の地も定かではない。有力な説とされているのが、現在の島根県益 田市(石見国)である。地元では人麻呂の終焉の地としては既成事実としてとらえ、高津柿本神社としてその偉業を称えている。しかし人麻呂が没したとされる 場所は、益田市沖合にあったとされる、鴨島である。「あった」とされるのは、現代にはその鴨島が存在していないからである。そのため、後世から鴨島伝説として伝えられた。鴨島があったとされる場所は、中世に地震(万寿地震)と津波があり水没したといわれる。この伝承と人麻呂の死地との関係性はいずれも伝承 の中にあり、県内諸処の説も複雑に絡み合っているため、いわゆる伝説の域を出るものではない。また他にも同県邑智郡美郷町にある湯抱鴨山の地という斎藤茂 吉の説があり、益田説を支持した梅原猛の著作の中で反論の的になっている。

鴨山の岩を枕として死のうとしている私を そうとは知らずに妻は待ち焦がれているのであろうか

鴨山之 磐根之巻有 吾乎鴨 不知等妹之 待乍将有

この歌は『萬葉集』巻二に「柿本朝臣人麻呂、石見国に在りて臨死(みまか)らむとする時、自ら傷みて作る歌一首」として載せられています。残念ながら鴨山というのがどこにあるのか分かっていないので、この人の最期についてはよく分かっていません。生前身分の高いひとではありませんでしたが、後世に 彼ほど神格化された歌人もいないでしょう。歌人としては最高の栄誉を与えられたといえると思います。歌は少し寂しげなところがありますが、愛する人を想った情緒あるものになっており、偉大な歌人の最後の歌としてふさわしいものです。
スポンサーサイト

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://ufononatu.blog10.fc2.com/tb.php/126-add1fca2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。