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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

At Rest
An American Soldier
And Defender of the Constitution

アメリカ軍人であり憲法の擁護者ここに眠る

ジェファーソン・フィニス・デイヴィスの墓碑銘。ジェファーソン・デイヴィスはアメリカ合衆国及びアメリカ連合国の軍人、政治家。政治家や軍人として様々な経歴を重ねているが、歴史上においては主にアメリカ内戦(南北戦争)の際に分離独立したアメリカ連合国における、最初にして最後の連合国大統領として記憶されている。ジェファーソン・デイヴィスは米国陸軍士官学校(ウェストポイント)の士官候補生として歴史上に現れ、一時的な退役期間を挟みつつ米墨戦争でミシシッピ州義勇軍を指揮し、戦後に政治家へ転身してフランクリン・ピアースの秘書となった。政界ではミシシッピ州選出の下院議員となり、更に上院議員へ転じて上院軍事委員会委員長を務めた。また政界における恩人であるピアースが合衆国大統領に就任すると、陸軍長官として入閣を果たした。南部分離に関する政治対立が決定的になるとデイヴィスは南部出身者として、また南部諸州の一角を占めるミシシッピ州の代弁者として立場を決めねばならなかった。デイヴィス個人は内戦やその根源的な理由である奴隷制維持を支持しなかったが、分権論者として地方政府が中央政府から離脱する事は連邦制における自治権の範囲であると結論した。1861年1月21日にデイヴィスはミシシッピ州の連邦離脱を支持する演説を行った後、自らも合衆国議会の議席を放棄すると宣言した。1861年2月18日、アメリカ連合国が組織されるとデイヴィスは連合国臨時議会により暫定大統領に選出され、同年の間に正規の初代大統領(任期6年)に就任した。連合国大統領としてデイヴィスは開始された南北戦争における国家指導を担当したが、総論から言って連合国より遥かに豊かで、また政治的にも結束している合衆国に対抗する方策を見つける事ができなかった。外交面では欧州の有力国からは何の支持を得る事もできず、経済面でも独立によって混乱する南部経済の組織化に失敗し、急場を凌ぐ為に行われた紙幣乱造は南部独立通貨の価値を不安定化させた。統率面でも歴史学者ベル・I・ウィレーによれば、デイヴィスの性格や気質は国家指導者として不利に働いたと評されている。デイヴィスはどんな細事でも自らの手で決済する事を望み、極端に委任を拒む彼の行動はしばしば各部門の責任者との衝突を生んだ。またお世辞にも柔和とは言い難く、むしろ神経質な人嫌いであったデイヴィスは民衆からの人気も今ひとつであり、本人も国民に好かれようと努力しなかった。気難しい性格は人事面にも悪影響を与え、自らの好悪感情より能力の有無を優先するという冷静な判断に欠けていた。敗戦後の1865年5月10日、デイヴィスは戦犯として合衆国政府に拘束されて国家反逆罪に問われ、有罪にはならなかったものの公職就任の資格を剥奪された。デイヴィスは先述の通り、民衆と距離を置いた指導者であった為、主に連合国国民の愛国心は南部連合軍総司令官ロバート・E・リーに集まる傾向が見られた。しかし戦後に開始された合衆国によるレコンストラクション(南部占領統治)への反対など、南部連合国に殉じ続けるデイヴィスの姿は旧連合国住民から強い尊敬を集め、唯一にして最後の「連合国大統領」はかつての国民から敬愛される存在となった。今日、デイヴィスは南部独立に生涯を費やした人物として、それを押し留めようとした北軍に立ち向かったロバート・E・リーと並び、南部人から最も尊敬される偉人となっている。連合国時代の回想録となる『The Rise and Fall of the Confederate Government』(アメリカ連合国の興亡)を執筆するなど、連合国の大義を訴え続けた。失われた連合政府の大義に殉じる彼の姿は南部の民衆に深い敬意を抱かせ、また敗戦の痛手が残る南部諸州を幾度に亘って歴訪する事で戦時中にはなかった民衆との結束が深まっていった。南部人の間に所謂「失われた大義」論が形成されていく中、デイヴィスは高潔で理想主義的な人柄と南部諸州の自治の為に生涯を費やした姿から、連合国国民にとって誇るべき指導者であったと見なされた。南部諸州を歴訪する旅で彼は各州の旧連合国を偲ぶ集会に招致され、民衆から暖かい賞賛と労いの言葉で迎えられた。1889年10月、デイヴィスは南部連合国に関する記録である「南部連合の物語」を書き終えた2ヵ月後、ニューオリンズで81年の生涯を閉じた。

アメリカの南北戦争については、南部の方が筋が通っているだけにジェファーソン・デイヴィスの肩を持ちたくなります。南部では農業中心のプランテーション経済が盛んで特に綿花をヨーロッパに輸出していたので、英国を中心とした自由貿易圏に属することが南部の利益となっていたのですが、北部では急速な工業化が進展しており欧州製の工業製品よりも競争力を優位に保つために保護貿易が求められていました。ようするに南部の綿花をヨーロッパに輸出せずに、安くで北部に売れと言ったわけです。こうして北部と南部の間で起こったのが、南北戦争でした。ジェファーソン・デイヴィスは戦犯とされましたが、勝った方が全て正しいということになってしまうのはいつの世も同じでしょう。デイヴィスは南部が国家資源や国力の面でそもそも北部に大きく差を付けられている事を理解しており、徹底して戦略的防御に徹し続けようとし一時は攻勢にも出ましたが、最終的にはアンティータムの戦いとゲティスバーグの戦いで破局を迎えました。デイヴィスには上記以外にもいくつかの失策があり、南部を勝利に導くことはできませんでしたが、今では南部を代表する偉人として尊敬を集めています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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