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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

Steel True、Blade Straight

鋼のように真実で刃のように真っ直ぐだった

アーサー・コナン・ドイルの墓碑銘。アーサー・コナン・ドイルはイギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、推理小説・歴史小説・SFを多く著した。1902年8月9日にKnight Bachelorに叙せられた。『シャーロック・ホームズ』シリーズに登場する史上最高の名探偵シャーロック・ホームズを生み出した事で知られ、エドガー・アラン・ポーとともに現代の推理小説の生みの親とされている。現実社会でもジョージ・エダルジ事件、オスカー・スレイター事件で被疑者の無実を主張し、冤罪を晴らすために力を尽くした。また、冤罪を防ぐために刑事事件の控訴院を設立することに尽力した。SF分野では『失われた世界』、『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『白衣の騎士団』、『勇将ジェラールの回想』などを著している。1859年、スコットランドの首都・エディンバラで、イングランド生まれの役人の父とアイルランド人の母の間に生まれた。イエズス会系のインデペンデント・スクールであるストーニーハースト・カレッジ(Stonyhurst College)に学んだが、学校を離れた1875年にキリスト教を拒絶して不可知論者となった。その後1876年から1881年にかけてエディンバラ大学で医学を学んだ。この頃、古典文学の廉価版の古本やエミール・ガボリオ、エドガー・アラン・ポーの作品を愛読した。1885年、患者の姉であったルイーズ・ホーキンズと結婚した。彼女は結核のために1906年に死去した。ドイルはその後1897年の出会いのときに一目ぼれをしたものの、妻を気遣って精神的なかかわりをもち続けていたジーン・リッキーと1907年に再婚した。1887年のクリスマス、最初のシャーロック・ホームズシリーズである『緋色の研究』が『ビートンクリスマス年鑑』に発表された。あちこちの出版社から断られ続けた挙句ワード・ロック社と25ポンドで著作権買取という条件にて世に出た作品である。発表後はしばらく売れずドイルはもうホームズ物は書くまいと考えていたが、アメリカの雑誌リピンコット・マガジンからの依頼を受けて書いた『四つの署名』がリピンコット・マガジン1890年2月号に掲載されるとホームズは莫大な人気を博した。だが、ドイル自身は自らの歴史小説やSF物のほうに価値を感じ、シャーロック・ホームズシリーズを快くは思っていなかった。『白衣の騎士団』のような中世の騎士道を描きたかったといわれる。19世紀と20世紀の世紀転換点の時期に南アフリカで起こり、世界中からイギリスによる露骨な帝国主義的行動に非難が集中したボーア戦争に従軍し、『南アでの戦争:原因と行為』と題された小冊子を執筆した。この冊子は他国でも広く翻訳出版されることとなった。この冊子の功績により、1902年にイングランド南部のサリー副知事に任命され、また同年Knight Bachelorに叙せられた。晩年は、第一次世界大戦での息子キングスリーの死もあってか、心霊学に傾倒し英国心霊現象研究協会会員となるが、科学的すぎるとして脱退。交霊会や心霊学の講演、それに関する執筆などを行ない、「心霊主義の聖パウロ」の異名を取った。1948年、短編の遺稿が発表された。

コナン・ドイルは推理小説の生みの親として、あまりに有名な人でしょう。しかし彼は、ホームズシリーズの高すぎる人気とホームズを実在する人物のように扱われることにうんざりしていたそうです。コナン・ドイルはコティングリー妖精事件に関わったことで有名ですが、元々ドイル家は妖精の絵を画いた人物を何人も輩出した家でした。彼が妖精の捏造写真を本物と信じ込み、晩年に心霊学に傾倒したことも彼の出自と関係があるでしょう。SFともファンタジーとも言える、彼の作品にも彼の神秘への希求が強く表れていると思えます。墓碑銘は社会正義の実現に尽力した、彼の性格を表したものでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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