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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

さめぬなりひとたび眠りたる山は

京極杞陽(きょうごく きよう)の辞世の句。京極杞陽は俳人。本名は高光、豊岡京極氏13代当主。華族令が廃止される前までは子爵の爵位を持つ華族であった。1934年 に東大を卒業すると欧州遊学の旅に出掛け、その途上の1936年4月、渡欧中の高浜虚子を迎えるベルリン日本人会の句会に参加。入選句が虚子の目に留まって親しく面識をえた。これをきっかけとして、帰国後はホトトギス発行所の句会をはじめ各所の句会に参加して俳句の研鑽を積み、早くも虚子が主宰する俳誌 『ホトトギス』の1937年11月号で初巻頭を飾った。俳人として順調なスタートを切ったが、職業的には同年から出仕した宮内省式部官の職が本職であった。1940年に推挙されて『ホトトギス』の同人となり、誌上において「静かなる美」、「皮相と内奥」など自らの俳論を発表。感傷を斥け、感覚的に対象の 持っている機微をつかみ、表現することに重点を置く立場から、既存の俳句概念にとらわれない句も多い。俳句のほか、随筆や俳諧詩も得意分野とし、高濱年尾 発行の『俳諧』では多数の俳諧詩を発表している。豊岡移住以降も、高濱虚子の忠実な門人として師や同門の俳人達と行動を共にすることが多く、虚子が没する までほぼ毎年、ともに国内各地へ旅して句作を行った。 1961年には豊岡移住以降の句から虚子が選んだものを第二句集『但馬住』として上梓。この間、『ホトトギス』には9回巻頭に選ばれ、杞陽俳句が次第に確立されてゆく。以降、虚子没後の喪失感の中で詠まれた第三句集『花の日に』、豊岡で詠まれた句が中心の第四句集『露地の月』などがある。1981年に死去 し、遺句集として『さめぬなり』が編まれた。

京極杞陽は但馬豊岡藩主京極家の13代当主で華族でしたが、その人生は公務よりはよりも趣味に生きた人でした。眠った山とは京極本人のことでしょう。趣味人らしい辞世の句だと言えるでしょう。あまり生にたいして、思い残すこともなかったから「覚めぬ」などという言葉を使っているのだと思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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