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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Camarades, tirez sur moi et visez juste !
Français, je proteste devant Dieu et la patrie contre le jugement qui me condamne. J'en appelle aux hommes, à la postérité, à Dieu. Vive la France !
Soldats, visez droit au cœur !

Soldiers, when I give the command to fire, fire straight at my heart. Wait for the order. It will be my last to you. I protest against my condemnation. I have fought a hundred battles for France, and not one against her ... Soldiers, Fire!

兵士諸君、これが最後の命令だ。私が号令を発したらまっすぐ心臓を狙って撃て。私はこの不当な判決に抗議する。私はフランスのために百度戦ったが、一度として祖国に逆らったことはない。

ミシェル・ネイの最期の言葉。ミシェル・ネイはナポレオン戦争期に活躍したフランスの軍人・元帥。姓のNeyは二重母音「ネイ」ではなく、「ネ」[nε]が原音に近い。当時フランス領であったザール地方ザールルイ(ロレーヌに含まれているとみなされていた)の出身である。七年戦争に従軍した元兵士で樽職人のピエール・ネイの次男として生まれる。最初は公証人になるため法律事務所に就職したが、1787年に王国軍のユサール連隊に一兵卒として入隊、フランス革命の混乱の中で頭角を現し、1799年には早くも師団長に昇進する。1800年にはナポレオンの妻ジョゼフィーヌの紹介で結婚、ナポレオンの側近に加わった。 ネイはたゆまぬ努力と、自身が見出して副官としたスイス人傭兵ジョミニ(のちに高名な軍事理論家として知られる)の助力もあって、歩兵指揮官としても優れた能力を身につけている。ネイは個人的にジョミニの著作の出版費用を負担するなど、彼をさまざまに援助しており、ベルティエ元帥と対立してネイのもとを離れた後も、ジョミニは終生ネイを敬愛していたという。ナポレオンが帝位に就くと元帥号を与えられ、1805年のエルヒンゲンの戦いでの活躍に対し、1808年にエルヒンゲン公爵位を授けられた。プロイセン戦役でも活躍、ロシア戦役ではボロジノの戦いでの奮戦の後、モスクワからの長く困難な退却戦を後衛司令官として指揮し、本国への帰還を果たした。逆境で見せた粘り強さと勇気、統率力は後に伝説として語られるほどのもので、ナポレオンにも「全く何と言う男だ!フランス軍には勇者が揃っているが、ミシェル・ネイこそ真に勇者の中の勇者だ!」と言わしめている。その後のドイツ戦役でも活躍したが、1814年に敗色濃厚になると、他の元帥らと共にナポレオンに退位を要求。王政復古後はルイ18世に従うが宮廷内での疎外と侮辱に不満を持ち、ナポレオンがエルバ島を脱出するとその麾下に戻っている。ワーテルローの戦いでは前衛で事実上の総指揮を執り、戦史に名高い1万ともいわれる騎兵による総突撃を敢行するなど奮戦するが、敗北。再び権力の座に戻ったルイ18世の政府によって、銃殺刑に処せられた。ネイやミュラの銃殺は、ルイ18世の個人的な復讐であると言われているが、ネイ自身はこの時同僚将官による軍法会議で裁かれるのを拒み、フランスの上院議員の資格を盾にとって王党派で占められている上院による裁判を受けている。この事も含め、ルイ18世からは「頭脳なき英雄」と誹られる結果となったが、誇りから自ら望んだ結果だったのではないか、との評もある。 なお、ネイの処刑を強硬に望んだ一人にマリー・アントワネットの娘アングレーム公爵夫人がいたが、後にネイの部下の回想録を読んでモスクワ退却戦での奮戦を知り、「もしもロシアで彼が見せた祖国への献身振りを知っていたなら、決して彼の処刑に賛成はしなかったでしょう」と涙したという。ネイはリュクサンブール庭園で銃殺されたが、このとき目隠しを薦められると「君は私が二十年以上も前から銃弾を直視してきたことを知らないのか?」と言い返している。なお、銃殺された場所には彼の銅像が立てられており、現在も献花が絶えないという。

ネイは大陸軍ではナポレオン自身に次いで将兵に人気のあった指揮官で、不屈の闘志と人間離れした勇気で名高い国民的英雄でした。ネイは根っからの軍人気質の持ち主で、名誉には非常にこだわり、侮辱には黙っていることができず、卑怯未練な態度をひどく嫌いました。戦場では極めて厳格かつ冷徹であり、部下の死にも表情を変えることがなかったそうですが、それは「軍人が戦場で倒れるのは当然の運命である」と受け止めていたからだと言われています。ワーテルローの戦いの末期、崩壊する自軍の中で「逃げずに戦え!おれが誰かわからないか!フランス元帥の死に方を見せてやる!」と兵士を叱咤しています。生まれた環境からフランス語とドイツ語を流暢に話し、命令書などに残された筆跡から非常に達筆だったことも知られています。ナポレオンは彼に対して愛憎半ばする複雑な心情を抱いていたらしく、流刑となった後の回想では厳しく批判することもあれば、最大限に賞賛する事もありました。最後の言葉は軍人らしいもので、勇者と呼ばれた人なだけのことはあります。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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