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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Free at last. Free at last. Thank God Almighty I'm Free At Last.

自由だ、自由なんだ、全知全能なる神様ありがとう、わたしはとうとう自由になれました

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの墓碑銘。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはアメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師である。 キング牧師の名で知られ、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動した。「I Have a Dream」(私には夢がある)で知られる有名なスピーチを行った人物。1964年のノーベル平和賞受賞者。2004年の議会名誉黄金勲章受章者。アメリ カの人種差別(特にアフリカ系アメリカ人に対する差別)の歴史を語る上で重要な人物の一人である。1929年、ジョージア州アトランタ市でバプテスト派牧 師マイケル・ルーサー・キングの息子として生まれる。ミドルネームも含めて父と同じ名前を付けられたが、父マイケルは1935年にマーティンと改名し、息 子も同様に改名したため「マーティン・ルーサー・キング、ジュニア」となった。宗教改革をはじめたマルティン・ルターから父親が命名した。モアハウス大学 卒業後、ペンシルベニア州のクローザー神学校を経て父親と同じくバプテスト派の牧師となる。その後1955年にボストン大学神学部で博士号を取得した。 1954年以来、アラバマ州モンゴメリーのバプテスト派教会の牧師をしていたが、1955年12月にモンゴメリーで発生したローザ・パークス逮捕事件に抗 議してモンゴメリー・バス・ボイコット運動を指導する。11ヶ月後に裁判所から呼び出しがあり運動中止命令かと思っていたが、連邦最高裁判所からバス車内 人種分離法違憲判決(法律上における人種差別容認に対する違憲判決)を勝ち取る。これ以降、アトランタでバプテスト派教会の牧師をしながら全米各地で公民 権運動を指導した。キングの提唱した運動の特徴は徹底した「非暴力主義」である。インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され、自身の牧師としての素 養も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫いた。一見非暴力主義は無抵抗で弱腰の姿勢と勘違いされがちだが、キングのそれは「非暴力抵抗を大衆市民不服従に発 展させる。そして支配者達が「黒人は現状に満足している」と言いふらしてきた事が嘘であることを全世界中にハッキリと見せる」という決して単なる弱腰姿勢 ではなかった。公民権運動にあたっては、主として南部諸州における人種差別的取扱いがその対象となった。通常、差別的取り扱いには州法上の法的根拠が存在 し、運用を実際に行う政府当局ないしは警察なども公民権運動には反対の姿勢をとることが多かったことから、公民権運動は必然的に州政府などの地域の権力と の闘争という側面を有していた。1963年8月28日に行われたワシントン大行進においてリンカーン記念堂の前で有名な“I Have a Dream”(私には夢がある)で始まる演説を行い、人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え広く共感を呼んだ。キ ングを先頭に行われたこれらの地道かつ積極的な運動の結果、アメリカ国内の世論も盛り上がりを見せ、ついにリンドン・B・ジョンソン政権下の1964年7 月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定された。これにより、建国以来200年近くの間アメリカで施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった。ワシントン DCへの20万人デモで最高の盛り上がりを見せ公民権法を勝ち取った黒人解放運動はその後、生前のマルコムXやその支持者を代表とする過激派や極端派など へ内部分裂を起こし、キングの非暴力抵抗は次第に時代遅れなものになっていった。その後、キングはベトナム反戦運動にも立ち上がったが、「黒人社会」から も「白人社会」からも徐々に孤立していき、彼を邪魔だと考える「敵」が増えていった。1968年4月4日に遊説活動中のテネシー州メンフィスにあるメイソ ン・テンプルで “en:I've Been to the Mountaintop”(私は山頂に達した)と遊説。その後メンフィス市内のモーテル、「ロレアンヌ」のバルコニーでその夜の集会での演奏音楽の曲目を 打ち合わせ中に、白人男性で累犯のならず者、ジェームズ・アール・レイに撃たれる。弾丸は喉から脊髄に達し病院に搬送されたが、間もなく死亡した。

キング牧師はアメリカの公民権運動の指導者としては、最も有名な人です。しかし彼の非暴力主義は公民権法を勝ち取って以後は、黒人の過激派から批判される ようになりました。その後の黒人運動は暴力的なものになり「ブラック・パワー」を提唱するストークリー・カーマイケルに代表されるような強硬的な指導者が 現れたり、ブラックパンサー党が結成されたりしました。1967年夏にニュージャージー州で大規模な黒人暴動が起きるに至って、世論を含め白人社会との新 たな対立の時代に入っていきました。キング牧師の有名な最後の演説は聖書の『申命記』32章のモーセを思わせるものでしたが、この演説の直後に彼が暗殺されたのは運命を感じさせます。暗殺現場となったモーテルは現在、黒人解放運動の博物館となっています。墓碑銘の言葉は、古い黒人霊歌の歌詞で、キング牧師 はよくこの言葉を引用していました。この墓碑銘には、キング牧師が追い求めた理想と本心が刻まれていると思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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