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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

THE ONLY PROOF HE NEEDED FOR THE EXISTENCE OF GOD WAS MUSIC

彼が必要としたただ一つの神の存在の証拠は音楽であった

カート・ヴォネガットの墓碑銘。カート・ヴォネガットはアメリカの小説家、エッセイスト、劇作家。1976年の作品『スラップスティック』より以前の作品はカート・ヴォネガット・ジュニア(Kurt Vonnegut Jr.)の名で出版されていた。人類に対する絶望と皮肉と愛情を、シニカルかつユーモラスな筆致で描き人気を博した。現代アメリカ文学を代表する作家の一人とみなされている。代表作には『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』(1963)、『スローターハウス5』(1969)、『チャンピオンたちの朝食』(1973) などがある。ヒューマニストとして知られており、American Humanist Association の名誉会長も務めたことがある。20世紀アメリカ人作家の中で最も広く影響を与えた人物とされている。ヴォネガットは1922年にインディアナ州インディアナポリスでドイツ系移民の家庭に生まれた。1940年にコーネル大学に入学し生化学を学ぶ一方で学内紙の『コーネル・デイリー・サン』の副編集長も務めた。コーネル大学在学中にアメリカ陸軍に徴募される。陸軍はヴォネガットをカーネギー工科大学とテネシー大学に転校させ、機械工学を学ばせた。1944年の母の日に母のエディスが睡眠薬を過剰摂取し自殺した。生活の困窮や息子のドイツ戦線配属を苦にしたものとされている。カート・ヴォネガットが兵士および捕虜として戦争で経験したことは、後の作品に深い影響を与えている。1944年、アメリカ合衆国第106歩兵師団第423普通科連隊の兵卒として第二次世界大戦の欧州戦線に参加し、バルジの戦いでコートニー・ホッジス率いる第1軍から第106歩兵師団が分断され取り残された12月19日に捕虜となった捕虜として1945年2月の同盟軍(英米の空爆部隊)によるドレスデン爆撃を経験した。ヴォネガットを含むアメリカ人捕虜の一団は、ドイツ軍が急ごしらえの捕虜収容所に使用した屠畜場の地下の肉貯蔵室で爆撃を生き延びた。ドイツ人はその建物を Schlachthof Fünf(スローターハウス5、第5屠畜場)と呼んでいたため、捕虜たちが収容所をその名で呼ぶようになっていた。ヴォネガットはその爆撃の結果を「完全な破壊」であり「計りがたい大虐殺」だと言っている。この経験が有名な長編『スローターハウス5』に反映されており、少なくとも他の6冊の本の主要なテーマとなっている。1945年5月、ヴォネガットはザクセン州とチェコスロバキアの境界線で赤軍によって送還された。1945年に除隊すると幼馴染のジェーン・マリー・コックスと結婚。ヴォネガットはシカゴ大学大学院で人類学を学んだ。1947年、彼はシカゴからニューヨーク州スケネクタディに移り、ゼネラル・エレクトリックの広報で働くようになった(兄が開発部門で働いていた)。そのころヴォネガットはスケネクタディとは川を挟んだ対岸の町に住み、数年間はボランティアの消防団員として熱心に活動した。当時彼が住んでいたアパートには、今も彼が小説を書くのに使っていた机があり、彼が自分で名前を彫った跡が残っている。そこで『スローターハウス5』を書き始めたと言われている。なお、シカゴ大学は後に小説『猫のゆりかご』の人類学的記述をヴォネガットの論文として受理し、1971年に修士号を授与した。作家として評価されず、執筆をやめてしまおうとする寸前の1965年、ヴォネガットはアイオワ大学の Writers' Workshop での講師の職を得た。彼の講義を受講した学生の中にはジョン・アーヴィングなどがいた。講師をつとめている間に『猫のゆりかご』がベストセラーとなり、20世紀アメリカ文学の最高傑作の1つとされている『スローターハウス5』を完成させた。反体制の若者たちの間で熱狂的に支持されるようになると、1966年には絶版となっていた全作品がペーパーバックで再版された。『スローターハウス5』はタイム誌や Modern Libraryのベスト100に選ばれている。2007年4月11日にニューヨークにて死去。

カート・ヴォネガットはSF作家でしたが、SFの枠を超えて多くの作家に影響を与えました。ヴォネガット本人は「SF作家」とレッテル付けされるのを嫌っていましたが、「現代の作家が、科学技術に無知であることはおかしい」と主張し、ほとんどの作品でSF的なアイデアが使用されています。それでも彼の作品がSFというジャンルの壁を越えて幅広く読まれたのは、単に反権威主義的だったからだけでありません。例えば短編「ハリスン・バージロン」は、平等主義のような精神が行過ぎた権力と結びついたとき、どれほど恐ろしい抑圧を生むかを鮮やかに描いて見せています。日本においては1960年代後半から浅倉久志、伊藤典夫等によって精力的に紹介されており、1980年代になり日本でも主要な作品の多くが和田誠のカバーイラストと共にハヤカワ文庫SF(早川書房)より刊行されました。日本でヴォネガットに影響を受けた作家に村上春樹や高橋源一郎、橋本治等がいます。ヴォネガットは倫理問題や政治問題を扱うことが多く、ブッシュ政権とイラク戦争について痛烈な批判を展開しました。ヴォネガットは「従来の宗教的信仰」に懐疑的だったドイツ自由思想の家系の出身であり、自身を懐疑論者、自由思想家、ヒューマニスト、UU教徒、不可知論者、無神論者などと様々に言い表しています。超自然的なものは信じず、自由思想の現代版がヒューマニズムだと見なしており、作品や発言やインタビューで事あるごとにヒューマニズムへの支持を表明していました。それゆえに、ヴォネガットの宗教観は単純なものではなく、イエス・キリストの神性を拒絶するにもかかわらず、イエスの祝福が彼のヒューマニズムの根本にあると信じていました。無神論者を自認していた彼が、自身の墓碑銘に神の存在の証拠について書いたのはこのためでしょう。『スローターハウス5』は、ジョージ・ロイ・ヒル監督、マイケル・サックス主演で、1972年に映画化され、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞しました。ヴォネガットはこの映画を「小説よりよくできている」と評し、「小説家として私とマーガレット・ミッチェルだけは、自分の作品を映画化した監督に感謝しなければならないだろう」と述べています。興味のある方は映画の方も見てみることをお勧めします。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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