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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

うきくもを払ひかねたる秋風の 今は我か身にしみぞ残れる

坂時秀の辞世の句。坂時秀は江戸時代後期(幕末)の仙台藩の重臣。通称は英力(えいりき)。諱は時秀。家格は一族。近習、申次兼祭祀奉行、小姓 頭、奉行と進む。景山流剣術をもって代々伊達家に仕え、家格も一族に昇った。生家の坂氏は元来、佐賀氏で後に坂氏に改姓。本姓藤原氏。坂信之(正三郎)の娘信子(与世)が伊達宗村の側室となり、伊達重村の生母となる。この縁もあり、延享2年(1745年)に120石、同4年(1747年)に家格召出家に進み、重村が襲封すると重村の母方として宝暦6年(1756 年)に着座家、同14年(1764年)には家格一族に進む。時秀の代までには500石を食む重臣であった。仙台藩の使者として上洛した際、徳川慶喜と直接会談して感銘を受け、藩の宿老・但木土佐と共に仙台藩の佐幕派として藩政の中枢を掌握した。戊辰戦争においても但木と共に奥羽越列藩同盟の主導的な役割を果たした。しかしこのため、戊辰戦争終結後の明治2年(1869年)、但木と共に仙台藩麻布邸にて死刑に処された。享年37。

浮き雲を払うことができない秋風の 今は我が身にしみて残った

坂時秀は東北戦争が起こると、同盟軍の軍事総督として須賀川などで指揮を執るが敗北しました。東北諸藩が次々と新政府軍に降る中、徹底抗戦を唱えましたが藩は降伏し、坂時秀は処刑されてしまいました。歌は何ともしようのなかった現実を、冷たい秋風にたとえています。彼にとっては時代の流れとは、身にしみるように冷たい秋風のようなものだったのでしょう。その冷たい風をもってしても、暗い雲を払うことができなかったのは無念だっただろうと思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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