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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

われ死なば焼くな埋めな新小田に 捨ててぞ秋の実りをばみよ

松浦武四郎の辞世の句。松浦武四郎はは江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家、浮世絵師である。雅号は「北海道人」。蝦夷地を 探査し、北海道という名前を考案した。伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)の郷士・松浦桂介の四男。山本亡羊に本草学を学んだ。早くから諸 国をめぐっており、天保9年(1838年)には平戸で僧となり文桂と名乗った。弘化元年(1844年)に還俗し蝦夷地探検に出発。その探査は択捉島や樺太 にまで及んだ。安政2年(1855年)に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査、「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。明治2年(1869年)には開 拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。翌明治3年(1870年)に開拓使を批判して職を辞して からは余生を著述に過ごしたが、死の前年まで全国歴遊はやめなかったという。明治3年(1870年)、北海道人と号して、「千島一覧」という錦絵を描いて いる。晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った。遺骨は、武四郎が最も好きだったと いう西大台・ナゴヤ谷に1889年に建てられた「松浦武四郎碑」に分骨されてもいる。なお、生地の三重県松阪市小野江町には「松浦武四郎記念館」が建っている。

私が死んでも焼くな埋めるな新たに開いた田に 捨てて秋の実りを見よ

松浦武四郎はその行程の長さと記録類の多さでは、群を抜いている探検家です。「久摺日誌」、「納沙布日誌」や「東蝦夷日誌」など二百四十種類ほど の刊本を残しています。歌は普通に埋葬してもらうよりも、開拓地にて死ぬのが本望だという彼の本音を現したものでしょう。彼は現在の日本人には珍しいフロンティア・ スピリッツの持ち主だったのだと思います。詩人ではありませんでしたが、この人も旅に生き旅に死ぬを実践した人だと言えるでしょう。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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