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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。
全く人間の生涯というものは苦しみの連続だ。

高村光太郎の最期の言葉。高村光太郎は、日本の詩人・彫刻家。東京府下谷区(現在は東京都台東区)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。 本職は彫刻家・画家であるが、今日では『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されているため、詩人として知られている。著作 には評論や随筆、短歌もある。彫刻家の高村光雲の三兄弟の長男。東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科に入学。文学にも関心を寄せ、在学中に与謝野鉄幹 の新詩社の同人となり『明星』に寄稿。1902年彫刻科を卒業し研究科に進むが1905年に西洋画科に移った。1906年より留学に出て、ニューヨークに 1年間、その後ロンドンに1年間、パリに9ヶ月滞在し、1909年に帰国。旧態依然とした日本の美術界に不満を持ち、ことごとに父に反抗し、東京美術学校 の教職も断った。パンの会に参加し、『スバル』などに美術批評を寄せた。「緑色の太陽」(1910年)は芸術の自由を宣言した評論である。1912年(明治45年)、駒込にアトリエを建てた。この年、岸田劉生らと結成した第一回ヒュウザン会展に油絵を出品。 1914年(大正3年)に詩集『道程』を出版。同年、長沼智恵子と結婚。1929年(昭和4年)に智恵子の実家が破産、この頃から智恵子の健康状態が悪くなり、のちに統合失調症を発病した。 1938年(昭和13年)に智恵子と死別し、その後、1941年(昭和16年)に詩集『智恵子抄』を出版した。智恵子の死後、戦意高揚のための戦争協力詩を多く発表した。歩くうた等の歌謡曲の作詞も行った。 1945年(昭和20年)4月の空襲によりアトリエとともに多くの彫刻やデッサンが焼失。同年5月、岩手県花巻町(現在の花巻市)の宮沢清六方に疎開(宮沢清六は宮沢賢治の弟で、その家は賢治の実家であった)。しかし、同年8月には宮沢家も空襲で被災し、辛うじて助かる。終戦後の同年10月、花巻郊外の稗貫郡太田村山口(現在は花巻市)に粗末な小屋を建てて移り住み、ここで7年間独居自炊の生活を送る。これは戦争中に多くの戦争協力詩を作ったことへの自省の念から出た行動であった。この小屋は現在も「高村山荘」の名前で保存されている。1950年(昭和25年)、戦後に書かれた詩を収録した詩集『典型』を出版。翌年に第2回読売文学賞を受賞。1952年(昭和27年)、青森県より十和田湖畔に建立する記念碑の作成を委嘱され、これを機に小屋を出て東京都中野区桃園町(現・東京都中野区中野三丁目)のアトリエに転居し、記念碑の塑像(裸婦像)を制作。この像は翌年完成した。最期は1956 年4月2日午前3時40分に東京都中野区桃園町にある自宅アトリエにて肺結核のため死去。この高村の命日(4月2日)は連翹忌と呼ばれている。

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る という詩が有名ですね。最期の言葉はかなり厭世的ですが、やはり芸術家という人達は気難しいひとが多いようです。奥さんの高村智恵子も洋画家で、雑誌『青鞜』の表紙絵を描くなど、若き女性芸術家として人々に注目されていたのですが、1918年の父今朝吉の死、1929年実家の破産・一家離散など心労が多く、結婚以前から病弱(湿性肋膜炎)であったこともあり、1931年8月(45歳)に統合失調症となりました。智恵子と結婚する以前(1911年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録された『智恵子抄』は高村光太郎の2冊目の詩集となりました。最期の言葉は、高村光太は自分の生き方と芸術の間で、かなり思い悩んだ人だったので、このような言葉になったのかと思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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まとめtyaiました【今日の辞世の句】

老人になって死でやっと解放され、これで楽になっていくという感じがする。 全く人間の生涯というものは苦しみの連続だ。 高村光太郎の最期の言葉。高村光太郎は、日本の詩人・彫刻家。東京府下谷区(現在は東京都台東区)出身。本名は光太郎と書いて「みつたろう」。 本?...

まとめwoネタ速neo | 2012/05/19 02:48

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