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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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5月25日分の活動報告 

遅くなりましたが、五月二十五日分の活動(前回と引き続き個人発表)の内容の概略を書いときます。


前回は、まず、「石原莞爾を考えるとはどういうことなのか?」という点を挙げて、石原莞爾を考えることの難しさを考えた。


 先ず、佐高信(1)が「絶対値の大きい人間」というように、石原という人は大変その評価が別れるということ。さらに、『世界最終戦論』に代表される石原の構想は、彼の戦史研究に基礎づけられているため、彼の構想を追うためには彼の戦史研究を追わなければならないこと。そして、人と信仰という点。具体的には、石原は国柱会の信者であるので、田中智学の日蓮主義との絡みを身なければいけないこと。その際、「宗教」というものがどれだけ「思想」に反映されるのか、どういう位置付けなのかという点を考える必要があること。畢竟、取り敢えず、「なぜ石原は国柱会に入信したのか?」という問いに答えを出さなければいけないことを意味すること。

 例えば、後者の問題について、石原は自ら語った中で、


私どもは幼年学校以来の教育によって、国体に関する信念は断じて動揺することはないと確信し、みずから安心してはいるものの、兵に、世人に、更に外国人にまで納得させる自身を得るまでは安心できないのである。(中略)遂に私は日蓮聖人に到達して真の安心を得、大正九年、漢口に赴任する前、国柱会の信行員となったのである。殊に「前代未聞の大闘諍一閻提に起こるべし」 は私の軍事研究に不動の目標を与えたのである。 (戦争史大観の由来記)


と述べていることなどを挙げ、これを一つとっても石原が「安心できない」といった大正の社会はどういうものだったのかという検討が必要なのではないかと報告者は問題提起をした。

他にもまた、石原といえば「満州事変」というイメージが強いわけだが、では、「なぜ石原はあの時期に満州事変を起こしたのか?」という問題を考える必要がある等々。

このように、石原という人間を考える際、如何にその時代の文脈の中で石原を考えるかが重要になってくることを報告者は強調した。その点、報告者は、むしろ、「時代を考える為に石原を考える」という視点を提案する。つまり、石原という人間を、その問題意識を、世界認識を追っていくことでむしろ近代日本のあり方というものが見えてくるのではないかと報告者はいう。

この点、石原が生まれたのが1889年。この年は、大日本帝国憲法発布の年であると同時に、ヒトラーが生まれた年で云々という閑話休題。石原という人間が、近代日本を考える上で絶妙なタイミングに生まれたこと。ある種、明治の建設の時代を経て明治国家というものが一つ形に鳴り始めたその後、日清戦争(石原は5歳なので記憶はないと思われるが)、日露戦争(石原16歳)を経て、第一次世界大戦、大正期の危機と石原がどのように問題意識を形成していったかという過程は、近代日本を考える上で重要であること。特に、第一次世界大戦から第二次大戦までの所謂、戦間期の日本のあり方、問題意識、世界認識のあり方は、その後の歴史の文脈上は勿論、翻って、石原を考察する上でも重要であると報告者は述べる。

その後、所謂「ファシズム」という問題を考える際にも、この戦間期というものをどう捉えるかというのは重要なのではないかというのを報告者が述べ、また、その当時の日本の世界認識、問題意識の有り様として、帝国国防方針、満州問題等の観点から、主に陸軍の視点を取り上げた。その際、皇道派や統制派について簡単に説明し(石原はどちらでもない)、一夕会が主導権を握る有り様をみた。(2)

以上を大雑把に概観しながら、石原という人間を如何に時代の文脈の中で考えていくことが重要であるかが報告者から示された。

それを踏まえた上で、では、当時の日本とは何か。近代日本とは何であるかという点を、「ファシズム」という点で概括がなされた。先ず、「ファシズム論争」について、その学説史を概観。(3)今回は、具体的に、丸山真男(4)と橋川文三を取り上げた。

主に焦点を当てたのは、橋川の論(5)で丸山との違いを示し、その後、こうした超国家主義への考察から石原を考える視点(別にこれ自体報告者の新しいモノではない)を述べ、むしろ、超国家主義というものを、明治以降大正、昭和とその変化の中で捉えたとき、石原とそれ以外のいわゆるテロの系譜のそれとの違いに注目し、「問題意識」や「世界認識」の相違や有無から、ある種差別化が出来るのではないかという意見。近代の超克という文脈から石原の戦争観への同時代的アプローチ等、幾つかイメージ(妄想に近い)がなんとなく示された。

概要をざっと記すと以上のような報告がなされたが、問題の積み上げに終始した挙句、報告者の勉強不足がことあるごとに露呈するという結果になった。

しかし、今後、石原研究を進める上でも、又その他活動全般を見通しても、研究所の今後の課題が浮き彫りになったことは有意義であったと思われる。

前期は基本的な戦争論、戦史研究の前提となる知識の整理を踏まえて、第一次世界大戦について考えることになった。その詳細については次回の活動で検討する。今回まで個人研究の発表という形での報告・活動だったが、報告者は引き続き、個人研究を進めて機関紙での報告を待ちたい。









(1)佐高信は、何冊か石原の評伝を書いているが、石原莞爾『戦争史大観』(中公文庫、1993年初版)における巻末の解説が佐高信の石原評価がコンパクトにまとまっている。

(2)この辺の話は、加藤陽子氏や川田稔氏等の著作を参考。報告ではあまり詳しく触れなかった。

(3)加藤陽子「ファシズム論」『日本歴史』700号(吉川弘文館、2006年)でまとめられているが、それについて、伊藤隆氏など数名の論に触れただけであまり詳しく述べなかった。(→完全に報告者の勉強不足感があって、その後の質疑応答で槍玉にあがった)

(4)『増補版 現代政治の思想と行動』を片手に報告者がその概要(主に同著第一部について)とその評価を述べ報告者が感想めいた所感を述べたが・・・。(主に筒井清忠「『日本ファシズム』論の再考察―丸山理論への一批判―」について紹介。初出は『地の考古学』第六号、社会思想社、1976年だが、報告者が用いたのは 『二・二六事件とその時代』ちくま学芸文庫2006であり、その後、議論の際に筒井論の概要についての質問があり、これまた報告者の勉強不足が露呈。)

(5)主に昭和超国家主義の諸相」『超国家主義 現代日本思想大系31』筑摩書房、1964年)。その他、『昭和ナショナリズムの諸相』その他著作収録の論考について。これも詳細に取り上げなかった。テロリズムという観点から考察をする橋川の論の特徴を報告者は述べたが、これまた、橋川が日本浪漫派の研究からファシズム論へ移った背景を橋川の丸山とは違う「考え方」を示して説明したものの、その後、質疑で日本浪漫派についての討論で報告者の勉強不足が露呈。朝日平吾以降のテロリズムについても報告者の認識不足が露呈し失笑。)
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まとめwoネタ速neo | 2012/06/07 13:35

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