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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Against you I will fling myself
unvanquished and unyielding, O Death!

あなたに対して私は頑なで不服従に私自身を投げ出しましょう。おお、死よ!

ヴァージニア・ウルフの墓碑銘。ヴァージニア・ウルフはイギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人である。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。1882年1月25日、父レズリー・スティーヴンと、母ジュリア・プリンセップ・スティーヴン (旧姓ジャクソン) の間にアデリーン・ヴァージニア・スティーヴンとして、ロンドンに生まれる。ヴァージニアの父、レズリー・スティーヴン(1832年 - 1904年)は歴史家、伝記作家、批評家、編集者、そして登山家であり『英国人名辞典』Dictionary of National Biographyの編纂者として知られる。このことはウルフが後に実験的な伝記を書いたことに影響を与えたものと考えられる。ウルフの回想によれば、子ども時代の最も鮮明な記憶はロンドンのものではなく、コーンウォール州のセント・アイヴスのものである。一家は1895年まで毎年夏をここで過ごした。スティーヴン家のサマーハウスであったタランド・ハウスは、手を入れられ当時とは少々違ってはいるが、今もポースミンスター湾を見下ろす場所にある。ここで家族で休暇を過ごした思い出やゴドレヴィー灯台などの風景は、ウルフの作品、ことに『灯台へ』の下敷きになっている。1885年、13歳の時に母が48歳で急死し、その2年後の異父姉ステラが死んだことによって、ヴァージニアは神経衰弱を発病した。このような状態ではあったが、1897年から1901年の間に、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語と歴史の課程をロンドンのキングス・カレッジの女子部で履修し、いくつかの科目においては学位レベルまで修めた。ヴァージニアはここで、クララ・ピーター、ジョージ・ワー、そしてキングズ・カレッジ女子部の校長でスティームボート・レディーズのメンバーとして知られているリリアン・フェイスフルなど、女子高等教育の草創期の改革者たちと出会った。1904年に父が72歳で死去する。この時ヴァージニアは深刻な虚脱状態に陥り、一時的に入院治療した。生涯を通して、ウルフは周期的な気分の変化や神経症状に悩まされた。この不安定さは彼女の社交生活には影響を与えたが、文筆活動は一生を通してほとんど中断することなく続けられた。ヴァージニア・スティーヴンは1912年、作家のレナード・ウルフと結婚した。レナードの不自由な経済状態にもかかわらず(婚約中ウルフは彼のことを「文無しのユダヤ人」と呼んでいた)二人は強い絆で結ばれていた。事実、ウルフは1937年の日記に「愛しあうこと。結婚後25年がたった今でも別れることは耐えがたい…求められるととても嬉しい。妻であること。私たちの結婚はこんなにも完璧なのだ」と記している。仕事の上でも二人は1917年にホガース・プレスを共同で始め、ともに働いた。ホガース・プレスはヴァージニアの小説、T・S・エリオット、ローレンス・ヴァン・デル・ポストなどの著書を出版した。ウルフの作家としての出発は、1900年にタイムズ・リテラリー・サプルメント(タイムズ文芸付録)に書いたブロンテ一家の故郷ハワースについての記事である。処女作『船出』は1915年、異父兄が経営するジェラルド・ダックワース・アンド・カンパニーから出版された。ウルフは著名な知識人の一人として小説や評論の発表を続け、批評家からも一般からも高い評価を得た。彼女の著作の多くはホガース・プレスから出版された。ウルフは20世紀の最も偉大な小説家で。モダニズム文学の旗手と目されている。ウルフは英文学における重要な革新者のひとりとされている。実験的な手法を用い、特に意識の流れ手法で登場人物たちの心理を深く掘り下げ高い評価を得た。第二次世界大戦後ウルフの評価は急激に低下したが、1970年代のフェミニズム文芸批評によって再評価された。ウルフの作品は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルグリット・ユルスナールの翻訳をはじめ50言語以上に訳されている。『幕間』(没後出版された)の原稿を完成させた後、ウルフは以前にも経験したのと同様のうつ状態に陥った。第二次大戦が勃発し、ロンドン大空襲によって家が破壊されたこと、亡くなった友人ロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことで症状は重くなり、仕事ができない状態になった。1941年3月28日、ウルフはコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺した。ウルフの死体は1941年4月18日まで見つからなかった。夫レナードはウルフを火葬し、遺骨をサセックス州ロドメル村にある自邸モンクス・ハウスの庭の楡の木の下に埋葬した。

この墓碑銘は自身によるものだそうですが、最期は自殺でした。ヴァージニア・ウルフはウルフは英文学において最も重要な抒情的な作家の一人です。非常に実験的な手法で、何事も起こらないありふれた物語が、それを受け取る登場人物の意識の中で時に歪み、時に崩れる様子を描き、独特な抒情性と文体の妙技が相まって、視覚的、聴覚的印象にみちあふれた世界を作り出しています。ウルフの作品はまた、戦時神経症、戦争、階級、現代イギリス社会などの問題に対する理解の手立てとしても研究されています。ヴァージニア・ウルフの作品は、ジェンダーの視点から語られることが多いように思われますが、彼女の作品はそういったレベルを超えて普遍的な価値を持っていると思います。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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まとめtyaiました【今日の辞世の句】

Against you I will fling myselfunvanquished and unyielding, O Death!あなたに対して私は頑なで不服従に私自身を投げ出しましょう。おお、死よ!ヴァージニア・ウルフの墓碑銘。ヴァージニア・ウルフはイギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニ...

まとめwoネタ速neo | 2012/06/13 01:40

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