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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

馬鹿者、馬鹿者

五藤存知の最期の言葉。五藤存知は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校(38期)卒。最終階級は海軍中将。茨城県出身。尾張国黒田の出身で、山内一豊に仕えた五藤為浄(通称吉兵衛)の子孫。父五藤近知と母加根の三男。父近知は水戸家の徳川斉昭に仕え、書家で水戸東照宮の明治に入っての初代宮司も務めた。妻恵津との間に美津、和子、尚子、たけ男、達子、厖(あつし)と六人いたが、和子、尚子、たけ男の三人は夭折。同期に栗田健男、三川軍一らがいる。専門は水雷戦術で、駆逐艦や戦艦「山城」・「陸奥」の艦長を歴任した。太平洋戦争開戦直前に第6戦隊司令官となり、開戦後はトラックへ進出してウェーク島攻略作戦、珊瑚海海戦、第1次ソロモン海戦に参加。1942年10月12日、サボ島沖海戦で敵艦を僚艦と誤認、乗船していた重巡洋艦「青葉」の艦橋に敵弾が命中して両足を吹き飛ばされ、出血多量で戦死した。享年54。戦死後、海軍中将へ昇進。なお、最後まで同士討ちと信じていたらしく、「馬鹿者、馬鹿者」と言いながら絶命したと伝えられる。

名誉の戦死という言葉がありますが、同士討ちで死ぬのは嫌なものがありますね。彼の場合同士討ちではなかったのですが、本人がそう思い込んで死んだ場合はどうなるのでしょうか? もちろん、五藤存知本人が敵艦を味方と誤認しなければこんなことにはならなかったのですから、自分の責任と言ってしまえばそれまでですが、それでもやはり不憫な死に方のように思われます。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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