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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Shema Yisrael Adonai Eloheinu Adonai Echad

Hear, O Israel! The Lord is our God! The Lord is One!

聞け、イスラエルよ! 主こそ我らが神! 主は一つだ!

アキバ・ベン・ヨセフの最期の言葉。アキバ・ベン・ヨセフは紀元1世紀末から2世紀にかけて活躍した、ユダヤ教最高の律法学者のひとり。ラビ・アキバとも呼ばれる。アキバは無学な羊飼いであったと言われる。40代になって自分の息子と一緒にアルファベット(アーレフ・ベース)を学んだという。ロッド)で律法を学び、後にロードとブネ・ブラックでも学塾を開き、多くの学者を輩出した。アキバは、トーラーの口伝伝承を対象別に整理して解釈することで、ミシュナの基礎を築き、ハラハ(ユダヤ法)の発展に決定的影響を与えた。聖書の『雅歌』の重要性を説いたことでも知られる。132年、ローマ帝国のユダヤ教弾圧に対して、ユダヤ人が反乱を起こした。これをバル・コクバの乱、又は、第2次ユダヤ戦争という。反乱の首領はバル・コクバ(星の子)とよばれるメシア的な指導者であった。当時高名な律法学者だったアキバは、『民数記』24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という句をバル・コクバと結びつけて解し、また、実際に彼をメシアと認めたと伝えられている。135年、アキバはローマに捕らえられ、殉教死している。


アキバ・ベン・ヨセフは文盲の羊飼いでしたが、40歳から勉強を始めて偉大な律法学者になった遅咲きの苦労人です。バル・コクバの乱は、第一次ユダヤ戦争のユダヤ人たちの反ローマ感情と独立願望の高まりから起こった反乱です。シメオン・バル・コシェバという男が自分こそはユダヤ民族を救う救世主(メシア)であるといい始めたのを、当時のユダヤ教の精神的指導者ラビ・アキバ・ベン・ヨセフが支持を表明したことから人々の期待が一気に高まり、シメオン・バル・コシェバは「星の子」(シメオン・バル・コクバ)というメシア称号を自称するようになりました。反乱のきっかけは、70年のエルサレム攻囲戦でローマ軍に破壊されたまま荒れ果てていたエルサレムを再建しようとしたローマ人が、聖地エルサレムを「アエリア・カピトリナ」という名前に変えようとしていること、およびその計画にエルサレム神殿跡地にユピテル神殿を立てることも含まれていることが分かり、ユダヤ人の怒りが爆発したことでした。この反乱はラビ・アキバの尽力によって、最高法院も反乱の実行を計画し、第一次ユダヤ戦争の問題点を徹底的に研究した上で、バル・コクバをリーダーとして対ローマ反乱に踏み切りました。当初この反乱は上手くいき、各地でローマ軍の守備隊を打ち破り、ユダヤの支配権をとりもどすことに成功し、2年半にわたって、バル・コクバは政治的指導者の座におさまり、ラビ・アキバが宗教的指導者となるユダヤ的支配構造が確立されました。しかしハドリアヌス帝はブリタンニアから勇将ユリウス・セウェルスを召喚するなど、遠方からも軍隊を呼び寄せ反撃を開始し、ユダヤ国の支配地域は次々とローマ帝国に再征服されていきました。最終的に135年エルサレムは陥落し、バル・コクバは要塞を築いていたベタルへ撤退し抵抗を続けましたがここも陥落し、反乱は終結しました。バル・コクバは戦死し、ラビ・アキバは拷問を受けた後処刑されました。この反乱の鎮圧により、多くの高官たちが死刑となり、カッシウス・ディオによるとこの反乱で58万人のユダヤ人が命を落としたそうです。この後、ユダヤの不安定要因は、ユダヤ教とその文化にあると考えたハドリアヌス帝はその根絶をはかり、ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害され、律法の書物は神殿の丘に廃棄され埋められました。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じ、紀元4世紀になってはじめてユダヤ人は、決められた日のみに神殿跡の礎石(いわゆる嘆きの壁)の前に立つことを許されました。さらに属州ユダヤの名は廃され、属州「シリア・パレスティナ」とされました。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったもので、現代まで続くパレスティナの名前はここに由来しています。この反乱の後、ユダヤ人はバル・コクバを『ほら吹き』とののしるようになり、「欺瞞の子」を意味する『バル・コゼバ』と呼んで揶揄しました。また戦争の際キリスト教徒が彼をメシアとして認めなかったため、ユダヤ教とキリスト教の分離がさらに進む結果となりました。戦争に負けてしまうと、一方的に批判や弾圧されてしまうのは、いつの時代も同じようですね。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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