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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

SO MUCH TO DO, SO LITTLE DONE

成すべき事はとても多く、なし得た事はごく少し

セシル・ローズの墓碑銘。セシル・ローズはイギリスの政治家。ローズは地主出身の牧師の子に生まれたが、生まれつきの病弱を心配した父は、気候のよい南アフリカに行っているローズの兄のもとに彼を送った。健康を取り戻したローズは、兄とともにキンバリーで坑夫としてつるはしを振るった。彼はダイアモンドを掘り当てて作った資金で、ダイアモンドの採掘権への投機を行ったり、採掘場への揚水ポンプの貸し出しで儲け、ロンドンのユダヤ人財閥ロスチャイルドの融資もとりつけて、1880年、デ・ビアス鉱業会社を設立した。この会社は、ほぼ全キンバリーのダイアモンド鉱山をその支配下に置き、全世界のダイアモンド産額の9割を独占するに至った。彼はデ・ビアス鉱業会社を通じてトランスヴァール共和国の産金業にも進出して、世界最大の産金王にのし上がるとともに、南アフリカの鉄道・電信・新聞業をもその支配下に入れるまでになった。ローズはこの経済力をバックに政界へも進出し、1880年、ケープ植民地議会の議員、84年にケープ植民地政府の財務相になり、90年には遂に首相にまで上り詰めた。この間彼は、ンデベレ人の首長に武器弾薬を提供し、それと引き換えに鉱山の利権を獲得したり、1889年、イギリス本国政府の要人を買収して、征服地に対する警察権・統治権をもつイギリス南アフリカ会社設立の特許を獲得したりしている。1894年、ローズはこの会社を盾に、遠征軍をンデベレ人やショナ人の居住区に派遣して、イギリス本国の4倍半にも相当する広大な土地を奪って南アフリカ会社の統治下に置いた。会社はこの地を、征服者ローズの名にちなんでローデシアと命名した。ローズは首相として数々の政策を行ったが、それらはすべて、大英帝国のもとに南アフリカに広大な統一された植民地、南アフリカ連邦を建設することを意図して行われたものであった。彼はまた、ケープとカイロ間を電信と鉄道で結ぶ計画(いわゆる3C政策の一環)を推進した。ローズはまさに南アフリカの政治・経済の実権を一手に握り、その威風は帝王を思わせ「アフリカのナポレオン」と呼ばれた。「神は世界地図が、より多くイギリス領に塗られる事を望んでおられる。できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい」と著書のなかで豪語した。その得意の絶頂が、1つの事件で一挙に崩れることになった。彼は勢いに乗じて、トランスヴァール共和国を一気に征服、併合する計画を立てた。トランスヴァール内のイギリス人に密かに武器弾薬を送り込み、反乱を起こさせ、その支援を口実にジェームソンの指揮する会社軍を派遣して、一挙に併合してしまおうというものであった。しかし、反乱を起こすことに失敗し、ジェームソン率いる南アフリカ会社の軍隊が国境を越えたとの知らせに、ボーア人は直ちに反撃を開始して会社軍を包囲し、全軍を捕虜にしてしまった。この事件は、ボーア人の怒りを買うとともに、広く世界中の世論の非難を浴びることとなった。この世論に押されてイギリス政府もローズを助けなかったため、ローズは1896年、首相と南アフリカ会社を辞めざるをえなくなり、完全に失脚した。イギリスは世論の沈静化を待って、この2つのボーア人の国に対する本格的な戦争である第二次ボーア戦争(南アフリカ戦争・1899年~1902年)を開始した。ローズは、ボーア戦争が始まるとすぐキンバリーでボーア人に包囲され、救出されるまで4ヶ月間もかかった。この間健康を悪化させ、一旦ヨーロッパへ帰り再度ケープタウンへ戻り、戦争終結2ヶ月前にムイゼンバーグで49歳の若さで死んだ。現在のジンバブエのマトボにある墓地World's View Lookoutに埋葬されている。生涯独身を通した彼は、600万ポンドに及ぶ膨大な遺産の大半をオックスフォード大学に寄贈した。大学ではローズ奨励基金として、現在も毎年多くの学生に奨学金を提供し続けている。

セシル・ローズについて語るには、ローデシアとその後のジンバブエについてて語らなくてはならないでしょう。ローズは熱心な帝国主義者であるとともに、人種差別主義者でもありました。ローデシアは白人の支配していた国であり、鉱山開発に失敗したこともあり1964年、北ローデシアはザンビアとして独立しました。一方、南ローデシアでは、白人が1965年に一方的に独立を宣言して白人支配を維持しましたが、当時人口610万人中、白人はわずかに27万人に過ぎず、この白人少数支配に対して黒人は、かつてこの地に繁栄していた黒人王国ジンバブエの名を冠した組織を結成して独立闘争を続け1980年、独立を達成し「ジンバブエ共和国」が樹立しました。しかし、現在はロバート・ムガベ大統領の独裁政権下にあり、劣悪な経済事情に加えて、秘密警察による監視や反体制派への暴力など言論の統制を受けることから「世界最悪の独裁国家」と評されるに至っています。かつてはローデシアは農業、鉱業、工業のバランスの取れた経済であり、特に白人大規模農家による非常に効率的な農業が行われていました。外貨収入の半数を農産物の輸出で得ている農業国で、かつてはヨーロッパから「アフリカの穀物庫」と呼ばれていたほどでしたが、白人農家に対する強制土地収用政策の開始後、ノウハウを持つ白人農家の消滅、大規模商業農業システムの崩壊により、農作物の収量は激減し経済が完全に破綻したため、とんでもないインフレが起こり、ジンバブエ・ドルの価値は、250億(25000000000)ジンバブエ・ドル=1米ドルとなりました。2009年1月の時点で年間インフレ率は約2億3000万%に達し、失業率は国連の推測で94%に達しました。かつてローデシアの経済を支えていたのは、低賃金で過酷な労働使役についていた黒人達であり、その恩恵を本来の国民である彼等が受けることはありませんでした。ですのでセシル・ローズは政策は悪かったと思いますが、ローデシア・ジンバブエの国民が本当に願っていたのは、現在のような人権弾圧や貧困ではなかったことは間違いないでしょう。セシル・ローズの行ったことについて評価するには、国家とは何であるかとか、政治とは何であるかなどの問題について考えなくてはならないでしょう。余談ですが、コンゴ動乱など1960年代にアフリカで活動したワイルドギースという傭兵部隊があり、この部隊を元にした『ワイルド・ギース』という映画があります。内容は基本的にフィクションですが、主人公のフォークナー大佐のモデルはワイルド・ギースを指揮した実在の傭兵マイク・ホアーです。この映画はドラマティックなストーリーや迫力のある戦闘シーンなども相まって、傭兵物戦争映画の傑作として評価されています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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