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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Sleep After Toyle, Port After Stormie Seas, Ease After Warre, Death After Life Does Greatly Please

辛苦の後の眠り、嵐の海を乗り切った果ての港、戦さの後の平安、人生を乗り切った果ての死、何と喜ばしきことよ

ジョゼフ・コンラッドの墓碑銘。ジョゼフ・コンラッドはイギリスの小説家。ジョウゼフ・コンラッドとも表記される。海洋文学で知られ、作品には『闇の奥』、『ロード・ジム』、『ナーシサス号の黒人』、『文化果つるところ』、『密偵』などがある。本名テオドル・ユゼフ・コンラト・コジェニョフスキとしてベルディチュフ(当時ポーランド、現ウクライナの一部、ウクライナ語ベルディチフ)に生まれる。父親は没落したシュラフタ(ポーランド貴族)の小地主で、ロシア占領下のポーランドにおいて独立運動を指導していたが摘発。捕らえられシベリアでの強制労働に処され、このときコンラッドは5歳だった。一家は北ロシアに移動し、その直後に流刑の地にて、コンラッドの母親は結核で死亡した。やがてポーランドへの帰国が許されたにも関わらず、4年後には父親も死亡し、コンラッドは叔父に引き取られた。父親は文学研究者でもあり、幼少期のコンラッドは父親所有の本を耽読していた。海洋文学に出会い感化されたのも父親の影響だった。16歳の年、コンラッドは船乗りになることを目指しポーランドを脱出。フランス商船の船員となった。船はマルセイユ港を起った。回顧録によれば、この船員時代、コンラッドの乗る船は武器密輸や国家間の政治的陰謀にも関わっていた。コンラッドが自殺未遂をしたのもこの時期となる。1878年以降、コンラッドは英国船に移り勤務した。以降、英語を学びつつ、世界各地を航海した。この時に得た見聞が、後のコンラッドの小説に大きな影響を及ぼした。1884年、コンラッドはイギリスに帰化した。1895年、処女小説『オールメイヤーの愚行(Almayer's Folly)』を発表。マレーシアを舞台とした物語で、英語によって書かれた。幼少期から青年期に至るまで、ロシア語、ポーランド語、フランス語を使用し、最後に学んだ英語によって小説を書き上げたことは特筆に値する。この小説は好評を持って当時の社会に受け入れられた。これにより、同時代の他の文学者たちとの交流も始まっていった。1899年、小説『闇の奥(Heart Of Darkness)』を発表。西洋文化の暗い側面を描写したこの小説は、英国船時代にコンゴ川で得た経験を元に書かれたもので、T・S・エリオット『荒地』、ユージン・オニール『皇帝ジョーンズ』、F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』、ジョージ・オーウェル『1984年』などにも影響を及ぼした。またこの小説は、オーソン・ウェルズが映画化の構想を持ったが実現せず、1979年に映画監督フランシス・フォード・コッポラによって翻案され『地獄の黙示録』として映画化された。1900年、小説『ロード・ジム(Lord Jim)』を発表。この小説は、コンラッドの代表作の一つとされる。1925年(米、監督ヴィクター・フレミング)と1965年(米、監督リチャード・ブルックス)に映画化されている。コンラッドの文学作品は、チャールズ・ディケンズやフョードル・ドストエフスキーに代表される古典的小説とモダニズム小説との中間的存在として位置づけられる。ただしコンラッド本人は、イワン・ツルゲーネフを除き、ロシア文学に対してあまり良い印象を持っていなかった。1924年、コンラッドは心臓発作でこの世を去った。遺体は本名のユゼフ・コジェニョフスキの名前でカンタベリーの墓地に埋葬された。

ジョゼフ・コンラッドは船乗りから作家になった経歴の持ち主です。ジョゼフ・コンラッドは非常に語学に堪能な人で、上記の通り彼が一番最後の七番目に習得した言語である英語で小説を書きました。名作『闇の奥』は、コンゴでの原住民達の悲惨さを目の当たりにした経験に基づいて書かれていますが、このときのことが船乗りコンラッドを作家に変えたと言われています。この墓碑銘はコンラッドの最後の完成小説である『ザ・ロヴァー』のタイトルページに引用された、イングランドの詩人エドマンド・スペンサーの『妖精の女王』の一節です。このエピグラフがそのまま彼の墓碑銘となりました。彼は一般的に海洋作家として知られていますが、この墓碑銘も人生という航海の果ての安息について書かれており、彼の生涯を評するにふさわしいものとなっています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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