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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Now we can cross the Shifting Sands.

これで僕もあの砂漠を渡ることができるよ

ライマン・フランク・ボームの最期の言葉。ライマン・フランク・ボームはアメリカ合衆国の児童文学作家、ファンタジー作家。60編以上の童話、児童文学作品を執筆しており、特に『オズの魔法使い』をはじめとする「オズ」シリーズの作者として有名。 戯曲家、俳優、自主映画制作者としての活動歴もある。ボームはニューヨーク州チッテナンゴ村(Chittenango)でメソジスト派の家庭に9人兄弟の 7番目として生まれた。父ベンジャミンはドイツ系アメリカ人、母シンシアはスコットランド系であった。ボームはごく若い頃から創作に取り組んでいた。父は彼に簡易的な印刷機を買い与えており、彼と弟ヘンリーはそれを使って"The Rose Lawn Home Journal"(バラ屋敷通信)という新聞を発行した。これは広告も入った本格的なもので、数号は続いた。17歳になるまでには、ボームは2番目のアマチュア誌"The Stamp Collector"(切手収集家)を創刊した。同時に、ボームは演劇にも傾倒し、興行的な失敗によって幾度となく破産寸前に陥った。1880年、父が彼のためにリッチバーグ(Richburg)に劇場を建ててくれた。ボームは脚本家の地位に就き、役者をやってくれる仲間を集めた。ウィリアム・ブラックの小説"A Princess of Thule"(テューレの王女)をベースにした歌付きのメロドラマ、"The Maid of Arran"(アランの乙女)はある程度の成功を見た。ボームは脚本を書くだけではなく、劇のための作曲を行ない(彼の劇は物語に歌が付属した、ミュージカルの走りというべき物であった)、さらには舞台で主役を演じた。1882年11月9日、ボームは婦人参政権論者として著名なマティルダ・ジョスリン・ゲイジ(Matilda Joslyn Gage)の娘モード・ゲイジ(Maud Gage)と結婚した。ボームが「アランの乙女」の巡業で留守にしている間、別の劇をやっていたリッチバーグの劇場が火事になり、建物のみならずボームの脚本の多くも焼失した。1888年、ボームと妻はダコタ準州の(現サウスダコタ州の)アバーディーンに移った。そこで彼は「ボーム市場」("Baum's Bazaar")という店を開いた。品物を安易にツケで手放してしまう彼の悪癖により、店は結果的に破産に追い込まれた。『オズの魔法使い』におけるカンザス州の描写は、乾燥し切ったサウスダコタでの経験に基づいている。1899年にはイラストレーターW・W・デンスロウ(William Wallace Denslow)と組んで、ナンセンス詩集"Father Goose, His Book"(ファーザー・グース、彼の本)を発表した。この本は成功した。その年の児童書としてはベストセラーになったのである1900年、ボームとデンスロウ(著作権は共有だった)は『オズの素晴らしい魔法使い(日本語タイトルは通常『オズの魔法使い』)』(The Wonderful Wizard of Oz)を刊行し、批評家からは絶賛を浴び、商業的にも成功を修めた。この本は2年間に渡り児童書のベストセラーの地位に君臨し続けた。その後ボームはオズの国や住人を扱った続編を13作も書くことになる。演劇に懸ける終生の愛情のために、彼はしばしば凝ったミュージカルに対して資金を出し、そして失敗した。ボームに最悪の赤字をもたらしたのは1908年の"The Fairylogue and Radio-Plays"(妖精譚とラジオ劇)である。これは幻灯と生身の役者を組み合わせた先駆的な見世物であったが、借金で首が回らなくなったボームは初期作品(『オズの魔法使い』を含む)の著作権を売却する羽目に陥った。その結果、初期作の低品質版が出回ることになり、ボームの名声は下落し、その新作までが売れなくなった。ボームは蔵書、タイプライター、など手放せる財産を徐々に放出して行き、最後には無一物となった。1919年5月5日、ボームは脳卒中で倒れた。彼は翌日(63歳の誕生日の9日前)、静かに息を引き取った。彼はカリフォルニア州グレンデールにあるフォーレスト・ローン記念公園(Forest Lawn Memorial Park)に埋葬された。

ボームは『オズの魔法使い』で大ヒットを取り、演劇にのめりこみすぎて破産するという、波乱万丈な人生を送った人です。『オズの魔法使い』は舞台や映画でも大きな成功を収めているので、見たことのある人も多いかと思われます。『オズの魔法使い』が後のファンタジー作品に与えた影響は非常に大きく、例えばアーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』の第一巻のタイトルである、"A Wizard of Earthsea"(邦題は「影との戦い」)は恐らく、"The Wizard of Oz"から付けられたのだと思われます。この最期の言葉は、オズの魔法使いに出てくるオズの周りにある砂漠を指していたと言われており、死を前にして彼が自分の作り上げた魔法の国へと旅立って行ったことを、現わしているのではないでしょうか。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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