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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

Aidez-moi, ma chère amie!

助けてくれ、私の愛しい友よ!

ジャン=ポール・マラーの最期の言葉。ジャン=ポール・マラーはフランスの革命指導者。医師。革命勃発後、山岳派に加わり恐怖政治を推進した。1743 年、スイスのヌーシャテルの中流家庭に6人兄弟の長男として生まれる。脆弱で勉強好きな少年だった。ヨーロッパ各地を遊学した後、ロンドンで開業医となる。1777年にフランスに招聘され1783年まで王弟アルトワ伯(後のシャルル10世)のもとで働いた。その頃から反体制運動を始めている。1789年のフランス革命勃発後は、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持された。そのことがもとで1790年1月にイギリスに亡命。4月に戻ってからコルドルエ・クラブに入り、8月10日のテュイルリー王宮襲撃事件や反革命派への9月の虐殺を引き起こしたといわれている。1792年、国民公会の議員に選出されて山岳派に所属した。議会を主導するジロンド派を攻撃し、一時、逮捕されたがすぐに釈放されパリ民衆を蜂起させて最終的に国民公会から追放した。この頃、持病の皮膚病が悪化。活動不能となり自宅にこもって1日中入浴して療養していた。1793年、面会に来たジロンド派支持者シャルロット・コルデーに暗殺された。暗殺後、現場で画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが有名な『マラーの死』を描いている。ジャコバン派の盟友マクシミリアン・ロベスピエールによって神格化され、ジロンド派への弾圧強化の口実となった。遺体は「革命の殉教者」としてパンテオンに埋葬されたがテルミドールのクーデター後に取り除かれた。

マラーは恐怖政治を推進した人物として、フランス第二帝政期には非道な人物とされたこともあって、現在でも革命家か血に飢えた狼かというように評価が別れています。どちらにせよ彼が残酷な人だったことは確かなようで、「近代化学の父」アントワーヌ・ラヴォアジエが投獄・処刑されたのは、化学者でもあったマラーが、かつて学会に提出した論文が審査を担当したラヴォアジエによって却下されたことの、逆恨みによるものであるとも伝えられています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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