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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

(顔と衣類の上に血液がついていたので彼にハンカチを与えた人に)
Merci, monsieur

ありがとう紳士

マクシミリアン・ロベスピエールの最期の言葉。マクシミリアン・ロベスピエールはフランス革命期の政治家で、代表的な革命指導者。左派の論客として頭角をあらわし、共和主義が勢力を増した8月10日事件から権勢を強め、1793年7月27日に公安委員会に入ってからの約一年間はフランスの事実上の首班として活動した。当初は民衆と連帯した革命を構想していたが、9月25日に国民公会から独裁権を認められてからは委員会独裁を主導、恐怖政治に転じて粛清を断行したため、独裁者というイメージが定着している。フランス北部・アルトワ州アラス(現在のパ=ド=カレー県)生まれ。幼くして母を亡くし、父も身を持ち崩したため、わずか6歳で家長となる。貧しい苦学生だが秀才の誉れ高く、学生代表として雨の中、膝をついてルイ16世の行幸を出迎えたという。後にロベスピエールは、国民公会において、そのルイ16世を激しく非難し、即時処刑すべきと主張している。1789年、30歳にして、三部会のアルトワ州第三身分代表として政治の世界に身を投じる。ジャコバン派内の山岳派に属し、ジロンド派内閣が推進した対外戦争に反対した。後のイメージからは想像しにくいが、このころは死刑廃止法案を提出したり、犯罪者親族への刑罰を禁止する法案に関わる等、当時としては先進的な法案に関わっていた。サン・キュロットの支持を得て、1793年6月2日、国民公会からジロンド派を追放し権力を掌握すると、公安委員会、保安委員会、革命裁判所などの機関を通して恐怖政治(Terreur:テルール 、テロの語源)を断行し反対派をギロチン台に送った(彼自身"Terreur"を必要なものだと信じ、「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」と主張した)。同年7月13日の盟友マラーの死に際しては、マラーを神格化することでジロンド派の支持を奪い、さらにジャコバン派内部でのロベスピエールのリーダーシップを不動にした。1794年2月、ヴァントーズ(風月)法を可決。同年3月に最左派エベール一派、4月に右派ダントン一派を粛清して、自己の理想とする独立小生産者による共和制樹立を目指した。この頃から、自らの主体的な神(正確には「至高の存在」)の定義を議会で通すなど横暴が目立つようになる。そして、6月8日に自らの主体的な神のための最高存在の祭典(La fête de l'Être suprême)を挙行する。対外戦争(フランス革命戦争)が好転し国内危機が一段落すると、1794年7月27日(革命暦II年テルミドール9日)、反ロベスピエール派によって逮捕され(テルミドールのクーデター)、1794年7月28日、サン=ジュスト、ジョルジュ・クートンらとともに処刑された。

ロベスピエールは恐怖政治の生みの親として、その名を歴史に残す人物ですが、私生活は至って質素で、紳士的な服装や振る舞いは広く尊敬を集めていました。テルミドールのクーデターで処刑されたときには、下宿していたデュプレ家に借金が残っていたともいわれれるほどでした。清潔さと独身であることから女性から特に人気があり、ロベスピエールが演説する日は女性の傍聴人が殺到したと伝えられています。"la vertu, sans laquelle la terreur est funeste ; la terreur, sans laquelle la vertu est impuissante"「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」とは、1794年に彼が行った演説の一説です。生涯独身を貫きましたが、アラスの弁護士時代には、地方の名士として社交界に出入りして女性たちには好感をもって迎えられており、中でもデゾルティ嬢とは恋人関係にあるとの噂もありました。またパリに赴いてからは下宿先であるデュプレ家の長女・エレオノールと内縁の妻同然の間柄だったそうですが、直系の子孫はいません。弟のオーギュスタンは兄と同様に政治家の道を歩み、テルミドールのクーデターで兄共々処刑されています。妹のシャルロットによる兄弟の回想録があります。最期の言葉は、ロベスピエールがテルミドールのクーデターの時に、自殺を図るが失敗し、顎に重傷を負ったためできた傷を隠すためハンカチを渡してくれた人へのお礼の言葉でした。とても恐怖政治を行なって来た人の最期の言葉とは思えません。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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