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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

Scheiße auf die ganze Gesellschaft, Scheiße auf alles, was unwichtig ist.

社会なんて全部クソだ、全てはクソで些細なものだ。

ジョアン・ミロの最期の言葉。ジョアン・ミロは20世紀のスペインの画家。カタルーニャ地方出身である。かつてスペインではカスティーリャ語以外の言語は公的には禁止されていたので(フランコ体制下)、カスティーリャ語式の読みでホアン・ミロと書かれることもしばしばある。独裁者フランコの死去(1975年)以降、地方語は復権され、現在言語正常化の途上にある。現在ではカタルーニャ語の原音を尊重して「ジョアン・ミロ」または「ジュアン・ミロ」と表記するのが通例である。ミロはパリでシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが通例だが、彼の描く人物、鳥などを激しくデフォルメした有機的な形態、原色を基調にした激しい色使い、あふれる生命感などは、古典的・写実的描法を用いることが多い他のシュルレアリストの作風とは全く異なり、20世紀美術に独自の地位を築いている。ミロは1893年、スペイン、カタルーニャ地方の中心都市、バルセロナに生まれる。ちなみに、ガウディ、ダリもカタルーニャの出身である。ミロは1911年、18歳の時、うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチという村に滞在した。このモンロッチの村の環境がミロの芸術に大きな影響を与えたようである。彼はこの頃から画家を目ざすようになり、翌1912年、バルセロナの美術学校に入学した。1919年にはパリに出、この頃からモンロッチとパリを往復しつつ制作するようになる。パリではピカソら芸術家とも知り合い、また、シュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンと出会う。ミロの作風は同じシュルレアリストでもマグリットやダリらの古典的・写実的描写法とは全く異なる自由奔放なものであるが、ブルトンは、こうしたミロの絵画こそが真のシュルレアリスムであるとして共鳴し、ミロはシュルレアリストのグループに迎え入れられることとなった。ミロは「画家」という肩書きにこだわって狭い世界に閉じこもることを嫌い、パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。1930年代からはバルセロナ、パリ、マリョルカ島(スペイン領)のパルマ・デ・マリョルカにアトリエを持ち制作した。1944年からは陶器や彫刻の制作を始め、作品の幅を広げていく。1956年にはパルマに大規模なアトリエを造り、作品の規模も大きくなっていく。また、このアトリエでは絵画以外の分野の職人との共同制作を行い、陶器、壁画、彫刻などを次々と生み出した。晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残している。1970年には日本万国博覧会(大阪万博)のガス館に陶板壁画『無垢の笑い』を制作するため来日した。1983年、アトリエのあるパルマで死去した。愛知県美術館には「絵画」(1925)が、福岡市美術館には「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」(1945)が、岐阜県美術館には「人と月」(1950)が収蔵されている。

何でミロがドイツ語で最期の言葉を言っているんだ? と思われた方も多いでしょう。この言葉はドイツの美術評論家Hans Platschek氏の本が出典なのですが、スペイン語の原文を見つけることができませんでした。ミロはヘミングウェイと仲が良く、二人はボクシング仲間でした。ミロは1921年から1922年にかけて初期の代表作である『農園』を製作しました。この絵はなかなか買い手が見つかりませんでしたが、最終的にこの絵に感銘を受けたヘミングウェイが買い上げました。「私がはじめてミロを知った頃は、彼は金もなく、食うものもなくて、9ヶ月の間、明けても暮れても『農園』と題する大作にかかりきっていた。彼はこの絵を売ることも、身辺から離すこともいやがった。」と記しています。『農園』はカタルーニャのモンロチの農家で見られる、種々のモチーフが描かれています。ヘミングウェイはこの絵について次のように語っています。「この絵には、スペインへ行ってその土地で感じるすべてと、スペインから遠く離れていて感じるすべてがある。誰もほかに、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」『農園』はヘミングウェイの死後、1987年にマリー・ヘミングウェイによってワシントンのナショナル・ギャラリーに寄贈され、現在もそこに所蔵されています。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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コメント

No title

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

資格 #- | URL | 2012/11/14 17:06 [edit]

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