09 «1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Category: スポンサー広告

tb -- : cm --   

今日の辞世の句 

江漢が年が寄ったで死ぬるなり 浮世に残す浮絵一枚

司馬江漢の辞世の句。江戸時代の絵師。蘭学者。浮世絵師の鈴木春重(すずき はるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。字は君嶽、君岡、司馬氏を称した。また、春波楼、桃言、無言道人、西洋道人と号す。生まれつき絵を好み、宝暦11年(1761年)15歳の時父の死を切っ掛けに、表絵師の駿河台狩野派の狩野洞春(美信)に学ぶ。しかし次第に狩野派の画法に飽きたらなくなり、明和半ば頃おそらく平賀源内の紹介で宋紫石の門に入る。ここで南蘋派の画法を吸収しつつ、紫石と交流のあった鈴木春信にも学んで浮世絵を描いた。ただし、初めに狩野派を学んだのは確かだが、師事した順番は諸説あってはっきりしない。後に洋風画を描くに至った。源内と接点があり、彼を通じて前野良沢や小田野直武に師事したとも言われている。享年72。墓所は豊島区西巣鴨の染井墓地、慈眼寺墓域。法名は桃言院快栄寿延居士。

司馬江漢は浮世絵師でしたが、後に洋風画を描くに至りました。平賀源内と接点があり、彼を通じて前野良沢や小田野直武に師事したとも言われています。日本における洋風画の開拓者としては、秋田の小田野直武とともに重要な画家です。日本最初の銅版画(エッチング)家でもあり、天明3年(1783年)その制作に成功しています。また天文・動植物など西洋博物学に興味を持ち、日本に紹介しています。彼はかなり人間嫌いな性格だったようで、晩年人付き合いが煩わしくなり、自分の死亡通知を知人達に送り逼塞していましたが、どうしても外出せねばならなくなり、案の定知人と遭遇するや返事もせず逃走するもごまかしきれず、「死人は声を出さぬ」と答えたというエピソードが残っています。辞世の歌は、かなりあっさりとしています。多才な人であったが、死ぬときまで絵を持ち出したのは自分を絵師と思ってのことなのでしょう。
スポンサーサイト

Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

tb 0 : cm 0   

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://ufononatu.blog10.fc2.com/tb.php/400-16f4642f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。