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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

今日の辞世の句 

Sono di Dio per sempre.

私は常に神に属します。

ルクレツィア・ボルジアの最期の言葉。ルクレツィア・ボルジアは、イタリアルネサンス期の女性でローマ教皇アレクサンデル6世の娘。政略結婚に翻弄されたヒロインとして知られる。兄は軍人で悪名高い政治家でもあるチェーザレ・ボルジア。他の同母兄弟にはホアン・ボルジア、ホフレ・ボルジアがいる。ルクレツィアは、ロドリーゴ・ボルジア(後のローマ教皇アレクサンデル6世)とその愛人ヴァノッツァ・カタネイの間に生まれた庶子である。修道院で少女時代を過ごす。父に非常に愛されていた娘だったという。1493年、13歳でミラノ公イル・モーロの甥でペーザロ伯爵のジョヴァンニ・スフォルツァと結婚する。しかし、ジョヴァンニと不仲のルクレツィアはローマに戻ってしまう。父ロドリーゴは、ジョヴァンニは性的不能で結婚は無効と宣言したが、実際にはルクレツィアが幼い事を理由に、父が寝室を別にする事を命じたためである。寝室を一度も共にしていない、つまり性行為をしていない結婚(「白い結婚」という)だと無条件に離婚・再婚できるため、これを狙ったものと思われる。無論ジョヴァンニは非常に憤慨し、父親や兄との近親相姦の罪があるとしてルクレツィアを訴えた。この一連の騒動に嫌気がさしたルクレツィアは1497年の6月、ドミニコ会修道院にこもってしまう。しかし、そこでスペイン人従者のペドロ・カルデロンと恋に落ち、彼の子を妊娠してしまう。兄のチェーザレはペドロが口答えしたことに激怒し、彼を殺してしまった。1498年の3月6日、ルクレツィアはインファンテ・ロマーノを出産。この子供は父親の戸籍に入れられた。次いで1498年にナポリ王アルフォンソ2世の息子アルフォンソ・ダラゴーナと結婚する。2人の夫婦仲は良かったという。しかし1500年にアルフォンソは暗殺される。兄チェーザレ・ボルジアの指図とも言われる。当時の情勢から、次に手を結ぶ相手とルクレツィアを政略結婚をさせたいためであったという(離婚はできないため。ただし「白い結婚」は例外)。1501年、フェラーラ公エルコレ1 世・デステの長男アルフォンソ1世・デステと3度目の結婚。当時、フェラーラはルネサンスの文化が花開いた都市の1つであり、宮廷には各地から文学者や芸術家などが集まっており、ルクレツィアはサロンの女主人として優雅に振舞った。彼女の従妹アンジェラ・ボルジアも女官として着いて来ていた。しかし、吝嗇家の傾向がある舅のエルコレ1世と浪費家のルクレツィアとは金銭感覚が合わず、彼女の大勢のスペイン人侍女達への手当てと家計の費用を巡って議論になった。あまりにも家計に関する議論が絶えないため、彼女がクララ会修道院にこもってしまったこともあるという。詩人ピエトロ・ベンボと浮名を流したこともあったらしい。しかし、この程度の浮気は夫の顔を潰さぬ程度なら当時の社交界では大目に見られていたようである。また、義姉のイザベラ・デステの夫マントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガとも不倫関係にあり、このことを知ったイザベラはただ2人を軽蔑しただけだったという話もある。2人の不倫関係の真偽の程は定かではないが、ルクレツィアとフランチェスコが親しかったのは確からしく、1504年に幽閉されたチェーザレ釈放の協力をルクレツィアがフランチェスコに頼んだこともある。1502年にルクレツィアは妊娠したが、彼女の体調が悪いのを知ったチェーザレは、7月28日にミラノにいるフランス王ルイ 12世を訪ねた後、変装して突然彼女に会いにやって来た。9月5日にルクレツィアは女児を死産。その間もずっとチェーザレはルクレツィアに付き添い、物語や冗談などで彼女をはげました。1503年に父アレクサンデル6世、1507年に兄チェーザレが死去。ルクレツィアは1519年、6月に未熟児の女児を出産したが産褥熱にかかり、6月22日に教皇レオ10世に宛てて手紙を書いた後、6月24日に母子共に死去した。

ルクレツィア・ボルジアの兄であるチェーザレ・ボルジアは、マキァヴェッリが『君主論』のモデルにした人物です。アレクサンデル6世は世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さや強欲さで知られる人です。ジョヴァンニ・ボッカッチョが『デカメロン』の中で生き生きと描き出したように、当時のローマ教皇は子供がいるのが普通であり、自分の子を甥だと言って高職につけていました。そのため英語の"nephew"(甥)を意味するラテン語の"nepos"から、"nepotism"(身びいき・縁故採用)という言葉が生まれました。ルクレツィア・ボルジアと言うと近親相姦で有名ですが、ボルジア家には政敵が多かったために、ルクレツィアは父や兄と近親相姦を行っているという誹謗が生まれたというのが真相であり、根拠がある話ではありません。彼女は父や兄の政権闘争に翻弄された悲劇の女性と言う印象がありますが、実際のルクレツィアは慈善や福祉に生きた女性であり、領民達からも慕われていたそうです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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