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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

What is the answer?
In that case, what is the question?

答は何かしら?
(誰も答えなかったので)
この場合質問は何かしら?

ガートルード・スタインの最期の言葉。ガートルード・スタインはアメリカ合衆国の著作家、詩人、美術収集家。美術収集家として知られるスタイン兄妹の一人で、パリに画家や詩人たちが集うサロンを開いていたことでも知られる。そこに集まる芸術家たちと交流する中で、現代芸術と現代文学の発展のきっかけを作ったともいわれている。スタインは人生の大半を兄のマイケルの投資から生まれる利益で暮らした。マイケルは両親が5人の兄弟を残して死んだ後、資産をうまく管理して投資を行っていた。スタインは5人の兄弟では末っ子であり、両親が亡くなったのはまだ10代の時であった。1930年代中頃に『アリス・B・トクラスの自叙伝』で成功した後は、印税で裕福になった。スタインはペンシルベニア州ピッツバーグに近いアレゲニーで、ドイツ系ユダヤ人移民で教育もある両親の5人の子供達の5番目として生まれた。父親のダニエル・スタインは鉄道会社の役員であり、路面電車や土地に良識有る投資を行って富を築いていた。1903年から1914年、スタインは美術批評家の兄レオ・スタインと共にパリで暮らした。二人は現代美術の初期作品の収集を始め、パブロ・ピカソ(ピカソとは友人になり、スタインや甥のアラン・スタインの肖像画を描いてもらった)、アンリ・マティス、アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、フアン・グリスなど若い画家達の初期の絵画を所有した。第一次世界大戦の前、二人のフルリュース通り27番にあるサロンには、これらの画家やその他の画家および前衛芸術家を惹き付け、中でも詩人、脚本家、批評家でジャーナリストのギヨーム・アポリネールが居た。兄のレオが現代美術を知り研究したことで、有名なスタイン・コレクションの原型ができた。1906年の初めまでにスタイン兄妹のスタディオはアンリ・マンガン、ボナール、ピカソ、セザンヌ、ルノワール、ドーミエ、マティスおよびロートレックの絵画で埋まった。1920年代、フルリュース通り27番のスタインのサロンは、その壁が前衛美術で覆われ、当時の偉大な作家達を惹き付けた。その中には、アーネスト・ヘミングウェイ、エズラ・パウンド、ソーントン・ワイルダーおよびシャーウッド・アンダーソンがいた。スタインはこれら海外在留のアメリカ人作家の何人かの前で「失われた世代」という言葉を最初に使ったとされている。第二次世界大戦の勃発と共に、スタインとアリス・トクラスはローヌ・アルプ地区のアン県ビリニンに何年も前から借りていた田舎屋に引っ越した。近所の者からは「アメリカ人」とのみ言われ、ユダヤ人であるスタインとアリスはおそらく、ヴィシー政権の協力者でゲシュタポにコネがあるバーナード・フェイへの友情故に迫害を逃れた。戦後フェイが終身重労働の刑を宣告された時、スタインとアリスはその釈放のために動いた。数年後、アリスはフェイが脱獄するための資金を提供した。戦後、スタインのもとには多くの若いアメリカ兵が訪れ、パリでのスタインの位置付けが上がった。スタインは1946年7月27日ヌイイ=シュル=セーヌで胃ガンのために72歳で死んだ。遺骸はペール・ラシェーズ墓地に葬られた。

ガートルード・スタインはあまりに作品や業績が多すぎて、その全てを書きつくすこの難しい人です。スタインは非常にパワフルな女性であり、同性愛について書いた最も初期の作家でもあります。スタインは父親の態度に対して子供の時に反抗しており、その思考や行動は政治の世界での父親的肖像に対して、その党派によらず軽蔑しました。しかし彼女は傲慢と言うものがいるほどに、自分を天才であると確信しており、日常の仕事には尊大でした。スタインの最初のベストセラー『アリス・B・トクラスの自叙伝』は、タイトルに反して中身はスタイン自身の自伝であり、スタインは自分自身を極度に自信ありげに描いています。スタインの作風は高度に風変わりで、遊びが多く、時にくりかえし、時にユーモアを交えた文体で書かれていることです。私の好きな彼女の言葉に次のようなものがあります。"The trouble with Oakland is that when you get there, there isn't any there there."(オークランドにおける困難なことは、そこに行ってもそこにはそこがないことだ)。もう一つ非常に含蓄の有る言葉に"A writer should write with his eyes and a painter paint with his ears"(作家はその目で書き、画家はその耳で描くべきである)というものもあります。ジュディ・グラーンはスタインの作品について五つの原則を挙げた。すなわち、1)ありふれたこと、2)本質、3)価値観、4)連続する現在の基礎、5)遊び、6)変形です。スタインの最期の言葉は、彼女らしい少し謎かけのような言葉でした。スタインの終生のパートナーであるアリス・B・トクラスの証言によると、この最期の言葉はスタインが胃の手術のために手術室に運ばれて行くときに述べたそうです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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