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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

ビアンション!ビアンション(自作小説中の医者)を呼んでくれ!
あいつなら、私を救ってくれる……。

オノレ・ド・バルザックの最期の言葉。19世紀フランスを代表する小説家。なおド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。『レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレキサンドル・デュマの親友でもある。トゥールで生まれた。父親はトゥールの要職にある実務家、母親はパリ育ちで夫より30歳あまり年下だった。幼少時代からあまり母親に愛されず、生後すぐにトゥール近郊に住む乳母に預けられた。その後、寄宿学校に入れられて1807年から1813年まで孤独な少年時代を送る。その6年間に母親が面会に訪れたのは2度だけだった。母親からの愛の欠乏と、その後の彼の人生における女性遍歴の多さは、関連づけて言及されることが多い。バルザックの小説執筆スタイルは以下のようなものであった。まずコーヒーを牛飲し、主として夜間に長時間にわたって、何回も推敲を繰り返しながら執筆した。執筆が終わると、疲れをおしてすぐに社交界に顔を出した。小説を書いている以外の時間は、社交界でご馳走をたらふく食べるか、知人と楽しく過ごすかのいずれかに費やされた。もはや伝説になっているバルザックの大食いは、(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われる。借金も豪放、食事も豪胆であった。事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産がその損失補填にあてられた。

最後に自分の作品の登場人物を呼ぶとは、作家としてはなかなかかっこいい最期ではないでしょうか。実生活の方は滅茶苦茶なひとだったようですが、天才と呼ばれる人はそういう破滅的な人生を送った人が多いです。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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