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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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加藤陽子『戦争の日本近現代史』を読む 

『孫子』の講読に引き続き、先週から、加藤陽子『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書、2002)を講読し始めました。1~9章についてラボメンがそれぞれ担当した章をネタに報告し議論するという体裁です。前回は第一講をネタに「加藤陽子氏の歴史観とその歴史的視座の有り様について」という報告でした。

都合上、次回は第九講「なぜ日中・太平洋戦争へと拡大したのか」の報告です。

前回の質疑で、加藤陽子氏の「戦争の論理」への考察という歴史的視座は尤もだが、やはり、その「論理」を支えたところの「心理」的言説、即ち、「大東亜の理想」や「近代の超克」といった「思想」として言説化された実証的視座とは次元の異なる「価値」的視座も同時に検討していかなければいけないのではないかという趣旨の指摘があった。

>>以下、次回の報告者記)


上記のような命題について、非常に難しい問題だが、その指摘を踏まえて、次回は加藤氏の議論の内容を押さえつつ、日本人の中国観というテーマで、この問題を考えてみたい。

竹内好が戦後に発表した「近代主義と民族の問題」(1951)について、その戦後的発言の「両義性」を言う子安宣邦氏は、今回の講読のテーマの一つである「満州事変」をめぐる言説の「事後性」を強調し、当時の知識人の有り様に絶望する。この「両義性」をめぐる問題は、今日的課題として存在するが、今回は、吉野作造を取り上げることで、この事後性を単なる「絶望」ではなく、知識人の一つの「葛藤」ととして捉えて、吉野作造と満州事変という命題について、吉野の晩年の「東洋モンロー主義」に至るその言説を追いながら、この問題を考えるきっかけとしたい。(ここで吉野を取り上げるのは、前述の「事後性」の言説こそ真に問われるべきではないかという考えと―これは子安氏の絶望感を否定しようという試みでは決してない。むしろ、その絶望感を歴史的文脈のみではなく現代的課題として考えたいというのが私の想いであることを誤解なきよう記しておく―事変の目撃者としての吉野に注目することで、加藤氏の目指した当時の戦争の論理の受け入れという言説をなるべくリアルに覗いてみたいという意図である)

今回は時間の都合と報告者の力不足のため、問題提起のみにとどめ、議論を通じこの問題は今後の課題としたいと思っている。
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