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新・立命館大学戦史研究所

立命館大学の登録団体である立命館大学戦史研究所の公式ブログ。戦史研の活動再開とともに復活!

 

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今日の辞世の句 

I am thinking of earlier times.

昔のことが思い出されるよ。

ルートヴィヒ・ベックの最期の言葉。ルートヴィヒ・ベック(1880年6月29日 ‐ 1944年7月21日)は、ドイツの軍人。陸軍参謀本部総長を務めた。最終階級は上級大将。第二次大戦中の1944年7月20日に中心人物としてヒトラー暗殺未遂事件を起こすが、失敗して自殺した。ライン河畔のヘッセン州ビーブリッヒで、由緒ある軍人の家に生まれた。アビトゥーア合格後の1898年にドイツ帝国陸軍に入営。第一次世界大戦には参謀将校として従軍した。戦後、ヴァイマル共和国の陸軍に残り、1933年にはヴェルサイユ条約が禁止する参謀本部機能の偽装である兵務局々長に就任。1935年に総統アドルフ・ヒトラーがヴェルサイユ条約の軍事条項破棄を宣言した後、晴れて伝統ある参謀本部総長を名乗ることになる。以後参謀総長として新生ドイツ陸軍の建設に邁進する。軍事テクノクラートとして、当時のドイツの軍事力ではイギリス・フランスなどを相手に戦った場合に勝算の無いことを見越し、ヒトラーの威圧的な外交政策に懐疑的であった。ドイツを大戦前の強国に戻すために、ヒトラーが主張するチェコスロバキアに対する攻撃自体には反対していなかったが、少なくとも1940年以前は無理とみていた。1938年、ヒトラーが計画通りに、チェコ国内に少数民族として生活するドイツ系住民の民族自決に関わるズデーテン問題が先鋭化したとき、ベックら一部の陸軍将官は、ヒトラーがチェコ侵攻を命じた場合、戦争を回避するためにヒトラーを逮捕するクーデター計画を準備していた。しかし英仏両国が外交的譲歩をしたためチェコ侵攻命令は出されず、この計画は実行されなかった。彼はブロンベルク国防相らの更迭に不満を持ち、既に1938年8月に参謀総長職の辞表を提出、第1軍司令官を拝命した直後の同年10月に退役し、以後軍務に戻る事はなかった。間もなく第二次世界大戦が勃発。ベックの予測と異なりドイツ軍は最初は快進撃を続けたものの、結局は劣勢になり敗戦は避けられない見通しになった。既にベックはカール・ゲルデラーと共に反ヒトラー抵抗運動の中心人物となっていた。ただし今日では、ベックの批判の対象はヒトラーの軍事・外交指導の誤りであって、独裁体制そのものではなかったとみなされている。数度にわたりヒトラー暗殺計画と新政府樹立が立案されていたが、その中では成功の暁にはベックが「摂政」として国家元首に就任し、首相就任が予定されたゲルデラーと共に、ドイツを破滅から救うために連合国と停戦交渉をすることになっていた。1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐により爆弾による暗殺・クーデター作戦が実行されたが、失敗に終わった。ベックはベルリンで逮捕され、フリードリヒ・フロム将軍の黙認を得て自殺する機会を与えられたが、ピストル自殺に失敗し重傷を負った。フロムの命を受けた部下によりとどめの一発を受け、ベックは拷問や不当かつ不名誉な裁判といったナチスの非道な報復を避けることが出来た。

ベックは決して民主主義的でも平和主義的でもありませんでしたが、ヒトラーに抵抗した人物として今日のドイツでは高い評価を受けています。クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐らによるヒトラー暗殺計画「ヴァルキューレ作戦」が実行されると、ヒトラーのいた会議室を爆破されましたが、。ヒトラーは打撲と火傷、鼓膜を損傷しましたが奇跡的に軽症で生き残りました。その後西部方面軍司令官クルーゲ元帥に、ベックが直々に連絡して反乱への参加を呼びかけましたが、クーデターはしっぱいしました。計画が失敗すると、ベックは直ちに自決の許可を求め、2度自決に失敗した後、一兵士がベックに止めの銃弾を撃ち込みました。戦術家としてのベックは、参謀総長時代には電撃作戦の生みの親であるハインツ・グデーリアンの戦車部隊の集中運用に懐疑的であり、古い型の将軍であったとも評されています。しかしベックは1936年初頭には戦車部隊における対戦車攻撃力の重視や戦車部隊の集中投入、攻撃的な運用が可能な完全自動車化師団の設立を支持する報告書も書いており、それらについてはグデーリアンと意見を同じくしていましたが、部下の参謀たちの保守的な意見との間で板挟みになり必要以上に対立してしまったようです。現在ベルリンの国防省跡には、ヒトラー暗殺を計画した、ベック、シュタウフェンベルク、ヘフテン、オルブリヒト、クイルンハイムら五人の名を刻んだ記念碑が建っています。最後に「ヴァルキューレ作戦」を扱った映画として、2008年のアメリカ映画『ワルキューレ』を紹介しておきましょう。この映画の主演はトム・クルーズだったのですが、彼がサイエントロジー(ドイツではサイエントロジーは悪質なカルトと見なされている)の信者であったため、反ナチ運動の英雄であるシュタウフェンベルクを彼が演じることに強い反発が起きました。ドイツ国防省は事件の舞台であるシュタウフェンベルク街等の国防軍関連施設での撮影を許可せず、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が抗議する事態となりました。最終的にドイツ国防省は『制作者側が「ナチス支配から解放され、完全なる民主主義国家となった統一ドイツの姿」を作品内に盛り込むことに同意した』として、撮影を許可しました。
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Category: 畠山首席参謀主筆! 立戦研連載企画 《今日の辞世の句》

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